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「湾岸戦争のトラウマ」から日本は自衛隊のPKO参加へ

わが国の防衛法制の変遷(2)冷戦後の不安定な平和の時代

吉田正紀
元海上自衛隊佐世保地方総監/一般社団法人日本戦略研究フォーラム政策提言委員
概要・テキスト
ペルシャ湾の機雷
ベルリンの壁崩壊とともに米ソ冷戦期は終結へ。しかし、それは「不安定な平和の時代」の訪れを意味し、わが国の防衛法制にも大きな影響をもたらした。その第一のきっかけは湾岸戦争。「湾岸のトラウマ」と言われるその事態は一体どのようなもので、何を日本の安保体制にもたらしたのか? 前海上自衛隊佐世保地方総監・吉田正紀氏が語る。(全4話中第2話目)
時間:09:50
収録日:2014/09/24
追加日:2015/05/18
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≪全文≫

●冷戦終結により訪れたのは「不安定な平和の時代」


 冷戦は、ベルリンの壁が崩壊することによって、1989年に終結します。これは、共産主義対自由主義という戦いが、自由主義の勝利により、東西陣営のうちの片一方が倒れるということで、冷戦期当時の米ソという二つの大国、これを極と言いますが、いわゆる双極構造が解消され、世界的に一種の安定的な戦略環境が終わりを告げたのです。

 すなわち、それまでわが国の安全保障を支えてきた、自国を守ること、周辺を安定させること、そして、世界の秩序を維持すること、という三つのレベルの同一性も同時に解消された、ということです。

 当初、これで世界的に平和が訪れる、あるいは、フランシス・フクヤマ氏が言ったように、「歴史の終焉、すなわち、イデオロギーの闘争が終わったのだ。自由主義の勝利に終わったのだ」と世界中が浮かれる中で、実際に冷戦後に訪れた時代は、「不安定な平和の時代」でした。


●安保政策、防衛法制の問題が顕在化-第一段階は湾岸戦争


 この時代において、わが国の安全保障政策と防衛法制は、冷戦期において潜在化していたさまざまな問題に直面し、情勢適応の原則に従って変化を遂げることとなりました。この変化は、同じく北岡伸一教授の分析を借りれば、三段階に区分できます。

 第一段階は、1990年の湾岸危機、湾岸戦争によって始まりました。この事態は、日本にとって極めて重要な地域で、冷戦後の国際秩序に真っ向からの挑戦が生起したにもかかわらず、日本は資金提供以外さしたる役割を果たすことができませんでした。

 私にとっては自分の経験なのですが、聞かれている方の中には、「もう完全に歴史の問題だな」と思っている方もおられるかと思いますので、少し細かく説明します。

 冷戦下においては、ある種いろいろな宗教や従来からの民族、地域などの紛争が、エスカレーションしていくと、最終的に米ソの核の戦いになってしまうというところから、その全てが顕在化しないようになっていたわけなのですが、冷戦が終わりまして、そういったものがどんどん顕在化してくることになります。

 その端緒となりましたのが、1990年8月、フセイン政権のイラクによる突然のクウェート侵攻です。1991年1月には多国籍軍が編成され、砂漠の嵐作戦が開始されました。いわゆる、湾岸戦争が勃発したのです。...
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