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「朝鮮王室儀軌」返還後相次ぐ韓国からの文化財返還請求

戦後70年談話~政治と歴史認識(6)日韓関係と「カタストロフィー」

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授
情報・テキスト
朝鮮王室儀軌
100年前に起こったトルコの「カタストロフィー」問題について、議論が再燃している。トルコ人の中には「死体は衣装箪笥にしまうには重すぎる」の名言を吐いたEU加盟論者もいたという。この議論は単なる歴史認識のために行われたとは思えない節があり、トルコ政府の見方は楽観的過ぎると歴史学者・山内昌之氏は考える。その根拠は日韓関係の歴史をたどれば見えてくる。では山内氏による分析に耳を傾けてみよう。戦後70年談話を考えるシリーズ第6回。
時間:15:28
収録日:2015/05/18
追加日:2015/06/22
カテゴリー:
≪全文≫

●トルコとアルメニアの関係に新しい潮流


 皆さん、こんにちは。

 この間、日本の歴史認識問題、すなわち日中・日韓の歴史認識問題と、トルコとアルメニアとの間に介在する歴史認識の問題などについて、比較しながら議論してきました。

 まず、今日のトルコに目を転じますと、2010年代に入りトルコ政府の公式の立場に変化が見られたことから、アルメニアとの関係をめぐる新しい潮流が現れました。トルコの現在の与党、すなわちレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領やアフメト・ダウトオール首相の公正発展党の政権や世論の良質な部分は、アルメニアとの間に起こった悲劇を「ジェノサイド」とは呼ばないにせよ、アルメニア人に対してトルコの前身であったオスマン帝国が行った不正義を認める動きが現れているのです。


●トルコの与野党をめぐる政治的動機と歴史認識


 トルコのEU加盟論者として著名な、ある人物の表現を借りますと、「死体は衣装箪笥にしまうには重すぎる」となります。歴史を全てかたくなに隠すことはできないという意味の名言ですが、なかなか意味深長な言葉であり、歴史の事実に向き合うために虚心に発言されたとばかりは言えない面もあります。

 1915年の「カタストロフィー」と呼ばれる大きな悲劇が起きた当時、政権を担っていたのは統一進歩団、いわゆる青年トルコ党でした。人脈や派閥など多くの部分においてその系譜を継承したのが、後のムスタファ・ケマル・アタテュルクの共和人民党であり、現在も同じ名称でトルコの最大野党として存続しています。ですから、エルドアン大統領のアルメニア問題に対するスタンスには、国内の政敵である共和人民党の立場を損なおうとする政治的な思惑が絡んでいるのかもしれません。すなわち、トルコの内政上の動機と歴史認識との間には、つながりがあるということになります。


●東アジア情勢が語るトルコの楽観性


 いずれにせよトルコ政府は、1915年のアルメニア人犠牲者に対して哀悼や同情を示すことは決して拒否していませんが、公式な賠償や補償金の支払いを伴うものではないことを、いつも強調しています。

 しかし、私たち東アジア情勢を知る者にとっては、トルコの見方はやや楽観的に思われます。日本の経験は、政治外交的に過去を謝罪し反省すれば、関係者からの個人訴訟も含めて必ず被害訴訟請求が出ることを教えているからです。

 日韓関係を正常化する条約を結んだことで、韓国側は全ての請求権を放棄することになり、日本がそれに対して賠償行為を行ったにもかかわらず、韓国の司法当局はそれを否認しました。「個人補償は別だ」という論理を振りかざして、また過去の問題をぶり返しているのです。

 今まさにこのような経緯が生じている日本のケースと照らし合わせると、トルコのアルメニア問題に関する対応、謝罪には賠償や補償は伴わないという見方について、私はすこぶる楽観的だと言わざるを得ないわけです。


●宮澤訪韓団13回の謝罪から得る教訓


 例えば、1992年に「従軍慰安婦」の問題が起きました。この時、旧帝国陸軍や帝国政府がこの問題に関して公に関与したのかどうか、事実や実態の究明は行われていません。克明な資料調査による事実認識は後回しにされ、何のために謝罪するのか、その対象も根拠も明確ではないまま謝罪が繰り返されることになりました。

 当時、政権を担当していた自民党の宮澤喜一首相には、韓国訪問の3日間で13回もおわびと反省の意を表したという記録が残っています。その原因と背景は何だったのでしょう。日韓基本条約ですでに国交が正常化され、請求権の問題は韓国の国民も含めて最終的に解決されたと規定している以上、いくら反省を表明しても法的に補償などにはつながらず財政的負担は生じないというのは、日本の当局による法的解釈でした。これは、日本側の理屈としては正しいものであり、今日でもそうした見方は有効であろうかと思います。

 しかし、訪問中に13回もおわびと反省を重ねた日本側の態度に対して、韓国の政府や世論は「誠意なき謝罪」という判断を下しました。どこに誠意があるのか、形式ではなく実際に目に見える姿で示してほしいということになったわけです。適切な補償を求める動きは、こうして生まれました。今日に至るまで、日本は韓国側の司法という国内問題における判断や対外的な外交要求なども含め、常にゴールポストの変わる日韓関係の懸案解決に苦しむことになりました。

 ここから得られる教訓は、謝罪や反省をするには、その対象や根拠が何であるかの実証的調査を後回しにせず、それらを明確にした上で行わなければならないということです。


●トルコ・アルメニア間に歴史共同研究は可能か


 トルコにおける1915年の問題は、同じようになか...
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