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日本の戦車はソ連の25倍以上頑丈だった!

第一章 誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(7)司馬遼太郎がノモンハンを書かなかった理由

渡部昇一
上智大学名誉教授
情報・テキスト
ソ連軍戦車と共に進撃する歩兵
日本を代表する歴史小説家である故・司馬遼太郎氏は、ノモンハン事件を執筆のテーマに定め、膨大な史料を収集し、取材を進めていた。ところが、突如「ノモンハン事件は書かない」と言い出した。一体それはなぜなのか。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第一章・第7話。
時間:04:55
収録日:2014/11/17
追加日:2015/08/10
≪全文≫
 にもかかわらず、半藤氏はこうした事実には目をくれず、司馬遼太郎氏がなぜノモンハン事件を書かなかったのかについて、『昭和史』(平凡社ライブラリー)に書いている。

 司馬氏は神田の本屋と提携し、執筆のテーマを決めるとお金を惜しまず史料を集めて、トラックで運んでいった人である。ノモンハンの史料もみなそうやって集めている。また司馬氏は、ノモンハン事件当時の部隊長で唯一の生き残りである須見新一郎氏からも話を聞いていた。

 ところが司馬氏は突如、「ノモンハン事件は書かない」と言い出した。半藤氏は同書の中で、司馬氏がノモンハン事件を書かない理由について、あれこれ考えをめぐらせている。

 たとえば司馬氏が小説に書いている坂本龍馬や河井継之助、土方歳三などの主人公は潔い人物だが、ノモンハン事件の当事者である陸軍参謀本部や関東軍の作戦課の軍人たちは、「司馬さん好みのさわやかさ」がない人ばかりだったから、書きたくなくなったのではないかと、半藤氏は解釈した。

 しかし司馬氏は結局、ノモンハン事件を書かない理由のすべてを半藤氏にも話していないのだから、別の解釈も可能だろう。取材を進める中で、「もう少し頑張れば勝てたのに」という声に突き当たった可能性もあるのではないかと思うのだ。

 事実、当時、関東軍参謀としてノモンハン事件を指揮した辻政信少佐は、

〈戦争は指導者相互の意志と意志との戦いである。もう少し日本が頑張っていれば、おそらくソ連側から停戦の申し入れがあったであろう。とにかく戦争というものは、意志の強い方が勝つ〉
(半藤一利『昭和史』)

 といったという。

 一方、司馬氏は陸軍の戦車隊出身だったが、日本の戦車は装甲が薄くて機関銃の弾が貫通するとか、日本は立派な戦車がつくれなかったというように、日本の戦車隊を非常に低く評価していた。

 ところが、実際にノモンハンで戦った戦車隊の隊員たちの証言によれば、ソ連の戦車は装甲も厚くて火力も強いが、停止しなければ主砲が撃てない。日本の戦車は走りながら撃てたから、ソ連の戦車を次から次へと撃破できたという。そんな話を、ひょっとしたら司馬氏は聞いたのかもしれない。そうなると作品を書けなくなるのも無理はない。

 結果として、平成10年(1998)にソ連からの情報が公開されたことによってノモンハン事件に対する考え方は一変したのだから、書くのをやめたことがある意味で、司馬氏の名誉を守ったともいえなくもない。作家の五味川純平以来、半藤氏も含めて、「ノモンハン事件は日本の一方的な敗北である」「日露戦争当時のままの武器で最新鋭の機械化部隊と戦って負けた」「こんな無謀な作戦を立てた日本の参謀は何をしていたのか」という論調ばかりだったのだから。

 繰り返しになるが、ノモンハン事件における日本の戦車の損害29台に対して、ソ連の損害は800台である。
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