≪全文≫
石井・ランシング協定に話を戻すと、私の家で働いていたお手伝いさんが娘の頃に、石井菊次郎大使の家で小間使いをしていた。そこで私は彼女から石井菊次郎の話をいろいろ聞こうと思ったが、彼女は石井菊次郎の家にいたとき、まだ田舎出の少女だったから、内容のある話は聞けなかった。
石井・ランシング協定の根底には、アメリカおよびヨーロッパ両大陸の相互不干渉原則であるモンロー主義があった。石井大使は「アメリカは南米の端までモンロー主義だ」といっている。もちろん日本は、アメリカ大陸のことには口出ししない。一方、日本はシナに近いから特別な利害関係があっても当たり前で、相互に口出ししないと、アメリカは認めたのだ。
ところがランシング国務長官は、本当はシナ派だったようである。彼は、シナ人の移民問題でシナ政府を擁護したり、日清戦争後の下関講和会議などでたびたびシナの代理人を務めたジョン・フォスター元国務長官の娘と結婚している。そのためランシング国務長官は家族を挙げて、シナがらみで利益を得ていた可能性もある。
現代においてシナ問題を考える場合も、シナで儲けている人間が非常に多いということを、われわれは忘れてはならない。もう少し時代が近いところでは、日本との開戦を決断したルーズベルト大統領がその典型だ。フランクリン・デラノ・ルーズベルト、すなわちFDRの「D」が重要で、デラノ家はオランダ系の麻薬王として知られ、アヘン貿易で財をなしていた。だからアヘンの一大市場だったシナに対して、非常に深い愛着心を持っていたのである。
先ほども述べたように、石井・ランシング協定は九カ国条約の発行とともに破棄され、そしてその後の上海事変、満洲事変、シナ事変などで、日本は九カ国条約に違反したという理由で、つねに批判の矢面に立たされることになった。
日本はとてもやり切れなくなって、シナ事変後に九カ国条約を事実上破棄している。戦後の歴史の専門家にいわせると、けしからんという話になるが、筋の通らない条約から脱退するのは、欧米でも珍しいことではない。
だいいち、条約は何年という期間を定めて内容を見直すのが普通で、日英同盟も5年後、10年後、20年後とたびたび見直されてきた。ところが、九カ国条約にはこうした見直し条項がなかった。
また日本周辺の国際情勢の変化を考えると、ロシア革命後にソビエト連邦が設立されるのが大正11年(1922)で、九カ国条約にソ連が入っていないことも大きかった。そのソ連が、極東に巨大な軍事力を集結するのだ。
さらに重要なのは、シナが日本と結んだ条約をまったく守らなかったということである。たとえば、いわゆる対支二十一カ条要求が合意に達してまもない大正4年(1915)5月25日、日本人の南満洲への往来と居住の自由、就業の自由および土地商租(土地所有・貸借)の自由を認める「南満洲及び東部内蒙古に関する協定」が調印されている。ところがシナはその翌月、日本人に土地を貸しただけで、売国罪で死刑になるという懲弁国賊条例(国賊を処罰する条例)を定めている。
こうした事態は、九カ国条約が想定すらしなかったことである。九カ国条約には、シナが特定の国のために軍備の拡張をしないことなどのさまざまな規定があったが、シナはそれを全部無視したといってもいいぐらいである。
だから日本が、これでは話にならないといって同条約から脱退しても、それをとやかく追及される理由はなかった。
さすがにワシントン会議の席で、九カ国条約に加盟しないという選択は難しかっただろうが、ソ連の五カ年計画が発表されたあたりのタイミングで、「状況の変化により、九カ国条約を見直したい」と日本側から申し入れることはできなかったかと、私は思うのである。
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石井・ランシング協定、九カ国条約…日本の最善手は?
本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(13)なぜ「九カ国条約」を見直さなかったか
上智大学名誉教授
情報・テキスト
フランクリン・デラノ・ルーズベルト
1922年、ワシントン会議にて締結された九カ国条約は、日本の中国進出を抑制するもので、これにより、中国での特殊権益を認めた石井・ランシング協定は破棄され、以降、国際社会はワシントン体制と呼ばれる中国権益の侵害を忌む傾向に向かった。そして、この条約には見直し条項がなかった。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第二章・第13話。
時間:05:55
収録日:2014/12/15
追加日:2015/08/20
収録日:2014/12/15
追加日:2015/08/20
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