≪全文≫
実際に当時の一般の日本国民に反英思想はなかった。ずいぶんあとの話になるが、私が中学に入ったのは昭和18年(1943)である。当時はすでに日本軍がシンガポールを陥落させ、ビルマ(現・ミャンマー)のマンダレーも落としていた頃だ。にもかかわらず、英語の教科書はイギリス王家の紋章を表紙にあしらった『ザ・キングズ・クラウン・リーダーズ』という本で、イギリスの生活について書かれていたものだった。昭和19年までは、英語の教科書にしてもそうだったのである。
後年、日本で反英感情が煽られていったことは事実だが、それにも事情がある。
明治維新以来、日本国内には「尊王攘夷」、すなわち西洋の帝国主義・植民地主義に対抗しようという気風は脈々と存在し続けていた。西欧列強の脅威から国を守るために維新を起こしたようなものだから、当然といえば当然である。
日本が日清・日露の両戦争に勝ち、自国の安全を存分に確保する状況になると、さらにアジアの人々と連携して、アジアの解放を成し遂げようというアジア主義の動きが、とくに在野勢力を中心に根強く広まっていくことになる。孫文らを助けて中国革命を支援したり、インドの志士たち(たとえば新宿の中村屋に匿かくまわれたラス・ビハリ・ボースら)を助けてインド独立を支援したりするような動きを主導したのは、まさにそのような勢力である。当時、アジアで最大の植民地を誇っていたのがイギリスだから、そのようなアジア主義者たちがイギリスに対する敵愾心(てきがいしん)を高めていくことは、必然といえば必然であった。
一方、イギリスも日英同盟の破棄後、ソ連がコミンテルンの活動を通じて中国における民族主義を煽動して、排外運動・革命運動を高めていくと、その矛先を自分の国から日本に向けるように仕向けるように動いている。
たとえば昭和14年(1939)4月に天津のイギリス租界で親日派の華北臨時政府の要人が暗殺されたが、イギリス側は犯人引き渡しを拒否するようなこともあった。それをきっかけに同年6月、日本軍は天津のイギリスおよびフランス租界を封鎖することとなる。もともとイギリス租界で、宣教師などが反日感情を煽るなどの利敵行為が行なわれていたことも背景にある。租界の封鎖にはイギリス側もさすがに怒ったと思うが、日英同盟が廃止されてから、かなりあとの話だ。
すでにご登録済みの方はこちら
情報・テキスト
孫文
日英同盟を破棄した当時、日本国民に反英思想はなかったが、後年、反英感情が煽られていった。その背景には明治維新以来、西洋列強に対抗してきた「尊王攘夷」や、日清・日露戦争後に広まったアジア主義の気風があった。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第二章・第11話。
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。
同じシリーズの講義
-
1 日本の近代史の大きな転換点は明治天皇の崩御だった 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(1)「明治精神」の死 -
2 大正デモクラシーにも影響を与えたといわれるドイツの書物 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(2)シビリアン・コントロールを知っていた木越安綱 -
3 当時の海外でも人気を博した小説は「大正」という時代の産物 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(3)「みんなみんなやさしかつたよ」 -
4 山県有朋がつくった軍部大臣現役武官制がやがて大問題に 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(4)ドイツでさえ軍部大臣現役武官制ではなかった -
5 朝日新聞の誤報がもたらしたその後の影響は計り知れない 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(5)些細なことが大きな出来事に -
6 第一次世界大戦への日本の参戦理由と寄せられた感謝 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(6)連合国から感謝された日本艦隊 -
7 なぜ二十一カ条の要求が猛批判されたか…暴露された第5号 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(7)シナの宣伝で嵌められた「対支二十一カ条」 -
8 尼港事件…ニコラエフスクで700人の日本人が虐殺される 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(8)シベリア出兵と尼港事件の惨劇 -
9 第一次大戦のドイツの敗北は「軍人の敗北」 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(9)「軍人には娘を嫁がすな」 -
10 ワシントンに赴き日英同盟破棄に反対した渋沢栄一の危機感 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(10)日英同盟廃棄という致命的な失敗 -
アジアの解放を成し遂げようという動きが在野に広まる 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(11)尊王攘夷とアジア主義 -
12 アメリカは中国で大きな影響力を持つ日本が許せなかった 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(12)日本はアメリカにしてやられている -
13 石井・ランシング協定、九カ国条約…日本の最善手は? 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(13)なぜ「九カ国条約」を見直さなかったか -
14 ABCD包囲陣は不戦条約違反ではないのか 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(14)いわゆる「不戦条約」の偽善 -
15 近代化が進む中、明治天皇が心配されたのは進化論だった 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(15)当時の指導者の不見識は何に起因するのか -
16 教育勅語で徹底すべく起草されたものとは? 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(16)悲劇の時代を率いた「教育勅語を知らない世代」 -
17 日露戦争までとまるで違う? 日本軍を驚かせた戦争の近代化 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(17)四個師団廃止と軍の近代化を進めた日本 -
18 日露戦争までの将校の質が百点なら、シナ事変では50点 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(18)宇垣軍縮を理解できなかった将軍たち -
19 第一次大戦の教訓として本気で取り組むべきだった問題 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(19)「石炭の煙」で日露戦争に勝ったが -
20 ある人物の不在から日米開戦という不幸は始まっていた!? 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(20)満洲にアメリカの石油会社を招致すればよかった -
21 当時も現代も電力の鬼・松永安左エ門がいてくれたら 本当のことがわかる昭和史《2》軍縮ブームとエネルギー革命の時代「明治の精神」の死(21)資源問題の軽視は、あまりに愚
関連講義
-
エリート、理念重視、自民党近代化…福田赳夫を深掘りする 福田赳夫と日本の戦後政治(9)ぶれない政治家と自民党での役割 -
「福田ドクトリン」と全方位平和外交…福田赳夫の真実とは 福田赳夫と日本の戦後政治(8)福田政権「3つの功績」 -
『街道をゆく』で旅を続ける司馬遼太郎の夢 司馬遼太郎のビジョン~日本の姿とは?(6)ウラル・アルタイ語族と司馬史観 -
なぜ「三角大福」の抗争で福田の行動がわかりづらいか 福田赳夫と日本の戦後政治(7)田中政権から三木政権へ -
徳川家康ではなく織田信長…司馬文学が描く「別の可能性」 司馬遼太郎のビジョン~日本の姿とは?(5)移動と破壊と自由の実現 -
角福戦争…派閥解消にこだわる福田vs金権政治の田中角栄 福田赳夫と日本の戦後政治(6)角福戦争と福田赳夫の敗北 -
『ペルシャの幻術師』が出世作の司馬遼太郎、実は日本嫌い 司馬遼太郎のビジョン~日本の姿とは?(4)日本嫌いと大陸ロマン -
派閥解体をめざす党風刷新運動の挫折…不遇から大蔵大臣へ 福田赳夫と日本の戦後政治(5)党風刷新運動の失敗と佐藤栄作政権 -
司馬遷を意識…“司馬遼太郎”の由来と海音寺潮五郎との縁 司馬遼太郎のビジョン~日本の姿とは?(3)司馬遼太郎ワールドと司馬遷 -
2つの所得倍増計画…経済計画の福田とスローガンの池田 福田赳夫と日本の戦後政治(4)「所得倍増計画」の2つの系譜
類似講義(自動検索)
-
日本の景気は中長期的に見るとかなり危険な状況 2018年激動の世界と日本(1)激変する世界を展望する -
欧米列強に蹂躙された屈辱を晴らす―中華の偉大なる復興 中国の歴史認識・歴史の記憶と日中関係(1)中国共産党のレジティマシー -
中国共産党…中央集権の弱点と底知れぬ巨大な腐敗 習近平―その政治の「核心」とは何か?(3)権力の集中と反腐敗闘争 -
追い込まれたアメリカは同盟国を切り捨てる可能性もある 激変しつつある世界―その地政学的分析(4)実質なき時代 -
なぜわれわれは生涯をかけて学ぶ必要があるのか 現代人に必要な「教養」とは?(5)生涯をかけて学ぶことの意味 -
ヒトラーの激高演説の性格とは…劣等感とユダヤ人虐殺 独裁の世界史~ファシズム編(5)ヒトラーの独裁を許した背景 -
中国が暴走しないように日本がやるべきこと 中国共産党と人権問題(6)米中対立で問われる日本の姿勢 -
乱戦で渾沌とした中、どうすれば冷静な判断力は保てるのか 『孫子』を読む:勢篇(3)冷静な判断力と組織の勢い -
まず行動することが、成功のポイントである 人間力をつけるために(7)まず、動こう
関連特集