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小説のつもりで書いた政府転覆のシミュレーションプラン

本当のことがわかる昭和史《3》社稷を念ふ心なし――五・一五事件への道(14)未遂に終わったクーデター・三月事件の衝撃

渡部昇一
上智大学名誉教授
概要・テキスト
永田鉄山
Wikimedia Commons
1931年、陸軍将校と民間右翼らが議会を占拠して内閣を総辞職させ、宇垣一成大将を首班とする軍事政権を擁立しようと計画したクーデター未遂事件があった。世にいわれる「三月事件」である。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第三章・第14話。
時間:11:28
収録日:2014/12/22
追加日:2015/08/27
≪全文≫
 昭和6年(1931)の三月事件とは、陸軍将校と民間右翼らが計画したクーデターで、議会を占拠して内閣を総辞職させ、宇垣大将を首班とする軍事政権を擁立しようとしたものの、未遂に終わった事件である。クーデターを計画したのは、革新派青年将校たちの団体である「桜会」のメンバーで、中心人物には参謀本部第二部ロシア班長の橋本欣五郎中佐(のち大佐)やシナ各地の駐在武官を務めた長勇少佐(のち中将)などがいた。

 すでに述べたように、実は昭和5年(1930)にアメリカで成立したホーリー・スムート法によるところが大きいのだが、恐慌の影響で世間に失業者があふれ、農村は貧困に苦しむ状況を憂え、彼らは国家改造しければならないと考える。

 このクーデターには大川周明や清水行之助などの民間右翼が参加し、麻生久(日本労農党)や亀井貫一郎および赤松克麿(社会民衆党)らの左派の合流も予定されていた。

 彼らが立てたクーデター計画は大雑把なものではあったが、青年将校だけで国家改造を実現するのは難しい。そこで彼らが担ごうとしたのが宇垣陸相だった。

 その頃、宇垣陸相は中耳炎の手術をして入院していた。大東亜戦争の敗戦前年に総理大臣になった小磯国昭少将(のち大将)が軍務局長を務めていたが、彼の紹介で宇垣大将は大川周明と会談している。

 折しも浜口雄幸首相が「統帥権干犯問題」で右翼青年に撃たれて重傷を負い、幣原外相が臨時首相代理を務めていた頃である。ところが幣原外交はアメリカからはなめられ、シナ大陸でもなっていないという状況だったため、一度、右翼の人とも話してみたらどうかという趣旨で、小磯軍務局長は宇垣陸相を大川周明に会わせた。

 宇垣陸相はなかなか弁の立つ人だったそうだが、会談の中で「お国のために命を投げ出すことは軍人としての本望である」という話が出たことから、大川周明は「宇垣はやる気だ」と受け取り、青年将校たちに宇垣陸相の蹶起(けっき)は確実だと伝えられたようである。

 その後、大川周明は宇垣陸相に宛てて、改めて蹶起を促す手紙を出した。そこにはクーデターの具体的な計画がいろいろ書いてあったらしく、宇垣陸相も驚いた。自分はそんなつもりで話したのではない、軍は彼らとは絶対に関係を持たないという立場から、宇垣陸相は小磯軍務局長を通じて関係者にクーデターの中止命令を伝えた。

 ところがこ...
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