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放っておけば朝鮮はロシア領になりかねなかった

第五章 満洲事変と石原莞爾の蹉跌(1)なぜ満洲が重要だったのか

渡部昇一
上智大学名誉教授
情報・テキスト
ポーツマス会議
昭和史にとって満洲問題が非常に重要だった。それを考えるためには、明治維新、そして日清戦争にさかのぼらなければならない。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第五章・第1回。 ※本項には該当映像がありません。
時間:00:09
収録日:2015/02/02
追加日:2015/09/07
≪全文≫
 本書の第一章で、東京裁判は日本の侵略戦争の始まりを満洲事変(昭和6年〈1931〉)だと断定して、半藤一利氏は、

 〈昭和史の諸条件は常に満州問題と絡んで起こります。そして大小の事件の積み重ねの果てに、国の運命を賭した太平洋戦争があったわけです。とにかくさまざまな要素が複雑に絡んで歴史は進みます。その根底に〝赤い夕陽の満州〟があったことは確かなのです〉

 と書いておられることを紹介した。

 同じ章で、満洲事変の遠因である張作霖爆殺事件が、通説としていわれている「関東軍の謀略」でない可能性があることも論じた。ただし、たしかに半藤氏がいわれるように、「昭和史の諸条件は常に満州問題と絡んで」起こっていることは確かである。

 なぜ、昭和史にとって満洲問題が非常に重要だったのだろうか。

 それを考えるためには、明治維新、そして日清戦争にさかのぼらなければならない。

 そもそも日本の明治維新は西洋列強の脅威からわが国を守るためのものであった。維新後の日本は当初、朝鮮や清国と手を結び、白人の植民地にならないように両国に近代化を求める道を模索するという考えであった。しかし清国は自らを中華とし、他を蛮夷とする中華思想から抜け出そうとしない。朝鮮もその華夷秩序から一向に抜け出そうとせずに、日本を蔑視する態度を取り続け、そればかりか清朝が動揺すると、あろうことかロシア勢力を自国に招き入れるような外交を展開した。

 日本としては自国を守るために、清と戦って因循固陋な華夷秩序を打ち破り、朝鮮を独立させなくてはならなかった。そのために戦われたのが日清戦争(明治27年〈1894〉~28年〈1895〉)である。

 日清戦争に勝利した日本は、清国と下関条約を結ぶ。この条約で清国は朝鮮の独立を認め、さらに日本に遼東半島、台湾全島、澎湖諸島を永久割譲し、賠償金二億両を払うことが決められた。このおかげで、朝鮮は初めて独立国となり、韓国皇帝と称することができたのである。

 しかし、この下関条約が結ばれた六日後に、ロシア、フランス、ドイツの三カ国が遼東半島を放棄するよう干渉してくる(三国干渉)。日本は涙を呑んでこの遼東半島を放棄することにした。

 しかし、この三国干渉は、西洋列強諸国が清国が日本に敗れた結果を目の当たりにして、清国を食い物にしようと群がりはじめた端緒にすぎなかった。三国干渉に参加したドイツは、明治30年(1897)、ドイツ人宣教師が殺されたことを口実として膠州湾を占領し、青島を含む山東半島の租借権と鉄道敷設権、鉱山発掘権を獲得する。ロシアは清朝から東清鉄道(シベリアのチタから満洲北部を横断しウラジオストクに至る路線)の建設許可を取り付け、さらに明治31年(1898)3月には旅順大連租借条約を結んで、旅順、大連の租借と、ハルビンから大連、旅順に至る南満洲支線の敷設権を獲得した。フランスは広州湾を租借し、イギリスも威海衛と九龍半島を租借している。

 清国が外国を使って日本を抑えようとしたために、かえって清国自体が蚕食されることになってしまったのである。

 さらにこの三国干渉の結果を見て、日本に独立国にしてもらったばかりの朝鮮では日本を侮る気運が高まり、「日本よりもロシアについたほうがいい」と考える勢力が力を増してくる。朝鮮国内で抗争が続くが、ついには朝鮮国王がロシア公使館に入って政治をする事態になっていく。

 ロシアは満洲、朝鮮でわがもの顔に振る舞いはじめる。日露戦争以前、満洲は事実上ロシアの占領地区となり、清朝の役人も、満洲に入るためにはロシアの役人の許可を得なければならなかった。

 それでも日本はロシアの南下を、満洲までは静観していた。ところがロシアが朝鮮まで下りてきて、龍岩浦を軍港にし、朝鮮北部の鉱山発掘権や森林伐採権などを手に入れ、さらに朝鮮半島の突端の港までを要求してきたことが、日露戦争の直接の導火線になった。朝鮮が完全にロシアのものになってしまったら、日本の安全保障は決定的に危機に陥るからである。放っておけば朝鮮はロシア領コリアスタンになりかねなかった。

 かくして日本は日露戦争(明治37年〈1904〉~38年〈1905〉)を戦うことになった。人的損害が約11万8千人に上り、臨時軍事費17・2億円を費やした日露戦争の結果、日本はロシアに勝利した。そして、関東州(旅順・大連を含む遼東半島西南端部)の租借権、東清鉄道のうち長春─旅順間などの権益を得た。

 日本が満洲に特別な権益があると思っていたのは、こういう事情があったからだ。
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