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交渉にはヤクザなガッツが必要…ハリマン協定と小村寿太郎

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(6)ハリマン提案を蹴った「深みのなさ」

渡部昇一
上智大学名誉教授
情報・テキスト
小村寿太郎
近代日本人の肖像
アメリカの鉄道王エドワード・ハリマンは、日露戦争後、南満洲鉄道の共同経営を日本側に申し入れ、桂首相と仮協定を結んだ。だが、小村寿太郎はこれに反対し、協定を解消させている。あのとき南満洲鉄道を共同経営していたら、その後の歴史は大きく変わっていただろう。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第6回。
時間:05:23
収録日:2015/02/02
追加日:2015/09/14
タグ:
≪全文≫
 その点でいうと、「国のかたち」を悪いほうに左右してしまった一人として挙げられるのが、本書で何度も取り上げてきた幣原喜重郎であろう。

 幣原は豪農の家に生まれ、東京帝大をいい成績で卒業し、三菱財閥三代目総帥の岩崎久弥の妹と結婚している。人の悪いところを疑わない、素直な人物に育ったのではないかという気がする。素直に育つことは悪いことではない。だが、素直に育つことの怖さもある。そのことを、もしかすると現代の日本人は理解できないのではないだろうか。

 明治維新の元勲たちは、下級武士からのし上がってきて、いつ斬り殺されてもおかしくない状況で生きてきたから、どこかに煮ても焼いても食えない部分があった。たとえば日清戦争までの日本外交を手がけた陸奥宗光は、西南戦争で西郷隆盛の挙兵に呼応して政府転覆を謀った立志社事件に関与して捕まり、投獄された。下手をしたら文字通りクビが飛んだ人物だったが、有能だったから外交官として復活し、日清講和条約の調印を成功させた。

 ところが、日露戦争後のポーツマス講和会議の全権を務めた小村寿太郎の世代は、もはや維新の白刃の下をくぐっていない。彼は大変な秀才で、現在の東大法学部にあたる開成学校(大学南校より改組)の法学部で学んだあと、ハーバード大学で法律学を専攻し出世している。

 もちろん、ポーツマス講和会議での小村寿太郎の貢献はきわめて大きなものであった。だが、その一方で小村寿太郎は、自分が講和会議で不在中に仮締結された南満洲鉄道経営に関する桂・ハリマン協定(明治38年〈1905〉)に反対し、協定を解消させている。

 アメリカの鉄道王とも呼ばれるエドワード・ハリマンは、日露戦争の折に、有名なジェイコブ・シフなどと並んで日本が発行した戦時公債に巨費を投じて日本を助けた人物であるが、日露戦争後、南満洲鉄道の共同経営を日本側に申し入れてきたのであった。資金不足の日本からすれば、これはけっして悪い話ではなく、伊藤博文、井上馨、渋沢栄一、それに桂首相といった維新の元勲や財界人たちはみな賛成したが、ポーツマス条約締結から帰ってきた小村寿太郎は、「そんなのはけしからん、自分に相談もなしに何だ」と言い出したのだ。小村の言い分は「満洲の権益は日本軍が血を流して得たものだ。それをアメリカと一緒にやる必要はない」ということで、誰も当時反対できない議論だった。それにみんな屈したのだ。

 ハリマンは日本で桂首相と仮協定を結び、喜び勇んでアメリカに帰国したが、そこで待っていたのは「協定は破棄する」という通知であった。ハリマンが怒りに燃えただろうことは、想像に難くない。

 あのとき米資本家のハリマンと手を結び、南満洲鉄道を共同経営していたら、その後の歴史は大きく変わっていただろう。満洲問題も、そしてアメリカの排日移民政策も。というのも、ハリマンは当時アメリカ国内でも有数の実力者だったからである。彼が帰国してまもなくサンフランシスコで日本人学童隔離問題(明治39年〈1906〉)が起きている。もし、ハリマンが日本との共同事業を進めていれば、その後、あのように最悪のかたちで日本人移民が排斥されることはなかった可能性もある。

 ハリマンの提案を断ったのは理知的には正しいことではあったかもしれない。だが、はたして全体的な判断から、さらに人情の機微からして正しい判断だったかどうかは、議論の分かれるところであろう。そのような深みが、小村には欠けていたと批判されても致し方あるまい。

 小村寿太郎以降の世代の人間に比べて明治維新の元勲たちは、本当に「食えない」連中だったと思う。だいいち彼らは、最初は幕府軍に仕えていながら、そのうち公武合体運動を進め、旗色が悪くなると尊皇攘夷を唱え出し、さらに開港を進めて幕府の経験者を数多く取り込んでしまったのである。

 私はときどき思うのだが、外交上の条約やビジネスの契約を結ぶ際、交渉担当として、ヤクザのようなというと語弊があるが、それほどガッツがある人間を雇うべきではないか。条約にせよ契約にせよ、交渉事にはガッツが非常に重要になる。ガッツがあれば、勝つために良いことはもちろん、悪いこともできる。清濁併せ飲む度量がある。だが、ガッツがない人は良いことだけをやろうとする。清濁の「濁」を自分の腹一つで飲み込む勇気がない。それでは、国運や社運を賭けた真剣勝負には勝てないのである。

 逆にいえば、トップの人物にいかにガッツが必要か、ということである。ガッツはあっても頭があまりよくないトップなら、頭の良い参謀役がつけばいい。ガッツはあるが人情がないトップなら、人情味あふれる補佐役がつけばカバーできる。ところがガッツがないリーダーだけは、誰も補佐することができない。

 振り返ってみると、明治の人たちが国政...
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