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DATE/ 2021.07.17

ユニクロが海外でも人気の理由

 日本を代表するアパレルブランドとして、今や押しも押されもせぬ人気を誇るユニクロ。近年は海外展開も順調で、新型コロナウイルスの影響で一時的に落ち込んだものの、2021年2月末の総店舗数2,280店舗のうち、6割以上の1,473店舗が海外の店舗となっており、海外営業利益が国内のそれを上回っています。

 なぜユニクロは世界で成功できたのでしょうか。ユニクロの海外進出の歴史を紐解きながら、その人気の理由を探っていきます。

手頃感と機能性の高さ、デザイン性は海外でも人気

 ユニクロといえばシンプルなデザインと手に取りやすい価格帯が特徴ですが、この点は海外でも好感を持たれています。2019年9月、イタリアのミラノにイタリア初の店舗が開店した時は、現地の経済紙が「質と価格のバランスが最高に取れた日本のブランド」と、ユニクロを評価。ヨーロッパでも人気のH&MやZARAに比べて、普段着としての着回しやすさ、着心地のいい点が好まれているようです。

 同年10月にインドに進出したユニクロは、インド女性の日常着である伝統服クルタを人気デザイナーがデザインした「クルタ・コレクション」を販売。大変な人気を博しました。

 人気デザイナーとのコラボ商品といえば、中国のユニクロの店舗で開店と同時に激しい争奪戦がくり広げられた映像が記憶に新しいですが、そうしたデザイン性や話題性も、ユニクロの優れた長所として世界に広く認知されています。

 また、ユニクロは国単位でなく、地域単位で文化や気候、価値観に合わせて商品展開を行っていることも特徴です。たとえば冬でも温暖なアメリカのロサンゼルスでは、冬期でもショートパンツを販売しており、1年を通して暑いリゾート地のハワイでは一年中夏服が買え、限定Tシャツのラインナップも豊富だそう。

 海外の文化、価値観に合わせた柔軟な経営戦略が、海外におけるユニクロの最大の強みといえるでしょう。

たび重なる海外出店の失敗から学び、大成功へ導く

 日本のアパレル企業として異例の成長を果たし、世界企業となったユニクロですが、最初から海外進出が順風満帆だったわけではありません。イギリス、中国、アメリカと次々に海外出店を試みるも、なかなか利益を上げられず苦戦を強いられてきた過去があります。

【2001年:イギリス(ロンドン)~人材の選択の失敗~】

 2001年、ユニクロはイギリスのロンドンで海外初出店を果たしました。ただ1年間で最大21店舗まで拡大することができたものの不採算店が相次ぎ、5店舗まで減少するという事態に。出店数にこだわった無理な急拡大に加え、現地の老舗デパートの勤務経験者を社長に登用したためにイギリス特有の階級文化が反映され、ユニクロの持ち味であるはずの風通しのよいフラットな社風が失われたことが最大の原因とされています。

 この失敗を踏まえ、ユニクロは企業理念を浸透させるべく自社から人材を派遣。現地の商習慣を学びながら、独自のビジネスモデルを形成していきました。その後は徐々に店舗数を増やすことに成功し、現在はイギリス国内で15店舗を展開しています。

【2002年:中国(上海)~ターゲット選択の失敗~】

 海外の中でもユニクロがひときわ力を入れてきたのが、中国大陸・香港・台湾といった、いわゆるグレーターチャイナでの展開です。なかでも中国の出店数は海外の総店舗数1,473店舗中800店舗と断トツで、特に「ヒートテック」や「エアリズム」といった機能性を高めた商品が人気を集めています。

 しかし、2002年に中国・上海に初出店した当初は、ほとんど利益を上げられず苦しい経営状態が続いていました。当時の平均年収(日本円にして約200万円)に合わせ、質の悪い低価格帯の商品を売り出していたためです。安いが粗悪、いわゆる「安かろう悪かろう」な衣料品がすでに多く出回っている中国において、本来のユニクロらしさである「リーズナブルだが高品質」という強みをまったく活かせていなかったのです。

 そこでユニクロは価格、品質を見直し、収入の多くを消費にまわせる中産階級をターゲットにする方向にシフト。その結果、多少割高でも丈夫で着回しやすいユニクロの良さが徐々に耳目を集め、さらに中国の中間層の生活水準も高まってきたことで、価格よりも機能性を重視したアイテムが選ばれるようになりました。

 自社の商品にマッチするターゲットに絞り込み、かつ消費者の価値観の変化やニーズをうまくとらえたことが、中国での成功につながったのです。

【2005年:アメリカ(ニュージャージー州)~ブランド認知力の低さゆえの失敗~】

 2005年に進出したアメリカのニュージャージー州で、ユニクロはショッピングセンターに3店舗を出店しました。イギリスでの失敗を活かして市場研究に力を入れるも、大苦戦。大量の不良在庫を抱えてしまいました(その後、店舗は2年で閉店)。

 在庫処分のため、高級店が並ぶニューヨークのソーホーに80坪の仮店舗を出すという苦肉の策を打ち出したところ、これがニュージャージー州の3店舗よりも売れるという結果に。そこでソーホーに大型店舗出店の計画を立てて大々的なプロモーションを行い、2006年11月に旗艦店(フラッグシップショップ)をオープン。ブロードウェイ沿いという好立地も相まってメディアで大きく取り上げられ、無事オープン時の売上目標を達成しました。

 これ以後ユニクロは、これまでのように標準サイズの店舗を出店して徐々に認知度を上げていくのではなく、各国のファッションの中心地に大型の旗艦店を出店して知名度を一気に高める方向へと戦略を変更しました。海外で成功するためには、まずブランドイメージを巷に波及させることが肝心であることを、身をもって知ったのです。

 この旗艦店戦略が功を奏し、2001年から低迷が続いたユニクロの海外事業は、2008年度でようやく黒字へと転換したのでした。

 さまざまな失敗を経て現在の戦略に至った、ユニクロの海外進出の歴史を振り返ってきました。1998年の「フリース」ブームから約20年、もはや日本の衣料のインフラといっても過言ではないほど確固たる地位を築いたユニクロ。さらなる出店先となる国と戦略に、今後も要注目です。

<参考サイト>
・ユニクロ(ファーストリテイリング)HP グループ店舗一覧
https://www.fastretailing.com/jp/group/shoplist/
・【2020年版】ユニクロの最新経営戦略を徹底解説!キーワードは「コストリーダーシップ」(THE OWNER)
https://the-owner.jp/archives/2836

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