●全ての元凶はイスラム文明内の宗派と政治の対立
皆さん、こんにちは。
イランとサウジアラビアとの対決には、国家間の対決、安全保障をめぐる対決という側面や、油価の問題をめぐる対立という側面の他に、シーア派対スンナ派という宗派対立の側面があるということは、遺憾ながら事実です。宗派対立は両国の関係に限らず、現実にシリア問題をはじめとし、中東複合危機をますます深める原因になっています。イラクとシリアの分裂に関連するシーア派対スンナ派の対立激化は、IS(イスラム国)というスンナ派の鬼っ子を生んでしまいました。
宗教イデオロギーに基づく政治対決と武力衝突の構図は、シリアのアサド政権やレバノンのヒズボラ、神の党の同盟国たるイランとIS、あるいは、その背後に絡むサウジアラビアとの対決で明確になったと言えます。1980年のイラン・イラク戦争で始まったシーア派対スンナ派の紛争は、次々と新しい紛争、ひいては衝突、そして戦争に発展しました。宗派と政治の絡んだ文明内の対立、すなわち、イスラムという一つの文明内における宗派と政治の絡んだ対立は、これからも進化し、深まることはあっても、和らいだり薄まることはないかと思われます。すでに触れた政治化したセクタリアン・クレンジング(宗派浄化)の恐怖は、いまや中東の広い範囲に及んでいます。言い換えれば、宗派戦争とその脅威は、もはやシリア戦争やイエメン内戦、あるいは、バーレーン紛争というものを超えてしまっているのです。
●同盟、支援体制づくりで立場維持に必死のサウジ
2016年1月のサウジアラビアとイランとの危機は、現代中東の一番深い宗派的な断層線(セクタリアン・フォルト・ラインズ)がどこに横たわっているかを、まざまざと見せつけた事件だったと思います。サウジアラビアのサルマン国王や、皇太子、あるいは副皇太子である二人のムハンマドたちは、国の財政基盤やこれまでアメリカとの同盟に依存してきた自分の存在感が、ますます弱まることを知っています。
順番から言えば、今回の対立に関して言えば、イランにもかなりの責任があることは申すまでもありません。これを有利に進めていくために、サウジアラビアは、新しい同盟や支援体制をつくろうと試みています。偶然と思えないのは、昨年12月末にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領がサウジアラビアのサルマン国王を訪れて、戦略的なパートナーシップについて合意したことです。シーア派の指導者であるニムル・アル=ニムルの処刑は、その直後に行われたのです。トルコは、ロシア機撃墜事件によって、ロシアとの緊張関係を非常に強めており、対立は深くなっています。こうした外交的な孤立や、あるいは、ロシアとの緊張状態から脱する一つの柱として、サウジアラビアとの関係強化を努めた気配があります。
●宗派対立は国家というより国民レベルの憎悪に拡大する
いずれにしましても、スンナ派対シーア派というような宗派対立が表に出ますと、怒りや怨恨を一般の国民が持ちやすく、そうしたものを増幅させる危険を国民の間にもたらしかねないという事実があります。国家は、宗教紛争から一層の果実を得て、権力の拡大に利用しようと競合します。他方、処刑から大使館や領事館など公館の焼き討ち、ひいては、国交断絶や大使の召還という流れは、その表面の動きに過ぎません。
サウジアラビアの亡くなったアブドラ前国王は、国内にくすぶるスンナ派住民の不満や、あるいは、ペルシャ湾に沿って住んでいるシーア派住民の反抗心をパンドラの箱に封じ込めるために、力を尽くしてきました。しかし、サルマン新国王は、ニムルの処刑でパンドラの箱をいともたやすく世界に向かって開いてしまいました。これから起こる両宗派、アラブとイランの両国民の一般レベルでの怨恨や憎悪を制御することは、なかなか容易ではありません。
●二つの流れへの分裂さえ巧みに利用するイラン
その間に、バーレーン、イエメン、シリア、イラク、レバノンにおけるシーア派運動が強まり、シーア派のリーダーシップがますます強くなるに違いありません。それが、ホメイニー主義に忠実な独立的な分子なのか、あるいは、イラン政府の統御、コントロールが効く理性的集団なのかは、いわば分裂症というような毛色がなされるイランを念頭に置けば、差し当たり問題ではありません。革命防衛隊もまたイランの政治機構の一部として、イランの国益を絶えず意識できる革命分子だということを忘れてはなりません。彼らは、アリー・ハメネイ最高指導者の意に正面から逆らうことはありませんし、ハッサン・ローハニ大統領という現実主義者の意向に対しても面従腹背を保ちながら、核合意や制裁解除をイランの国益とシーア派優位の新しい中東秩序秩序の形成に利用しよう...