●英・ブレア労働党政権の改革の成功と失敗
少子高齢化と財政の役割の、第五回の話をしたいと思います。前回、1990年代に財政再建に成功した多くの先進諸国で、2000年代に入ると再び財政が悪化していると申し上げました。特にリーマンショック以降、多くの国の財政が悪化したことを受けて再び、多くの国で財政再建が取り組まれているわけです。今日はイギリス、ドイツといった2000年代に再び悪化した国が、いわば失敗を反省して新たな取り組みを行っている事例について、紹介したいと思います。
最初に、イギリスの例について、紹介します。新たな改革を説明する前に、90年代後半のブレア労働党政権の改革について、簡単に紹介します。
労働党政権は90年代後半に誕生しますが、市場は労働党政権を信頼していませんでした。労働党というと、歳出が増えて財政赤字が再び増えるだろうと市場は予測していたのです。これに対して、労働党政権は「いや、それは違う」ということを説明するために財政構造改革を開始します。あるいは予算制度改革として新しい財政ルールを導入し、また透明性を高めるためにいろいろな取り組みを行ったのです。
その結果、2000年代前半に財政が黒字になりました。しかし、リーマンショックを受けて、再び赤字は膨れ上がります。イギリスの財政政策は、世界でもベストプラクティスといわれてきたのですが、なぜうまくいかなくなってしまったのか。それを考える必要があります。
財政赤字の直接的な原因は、医療・教育等の分野への歳出増ですが、ブレア労働党政権が新しく導入した仕組みは、経済のいろいろなリスクを十分に緩和するものではありませんでした。簡単にいうと、「成長率」に対して楽観的であったために、景気がいったん悪くなると、財政赤字が膨れ上がってしまったのです。
●英の保守・自由連立政権の取り組み
そこで、2010年に選挙が行われて、保守・自由連立政権が誕生しました。この政権は、ドラスティックな改革を導入しました。例えば、医療・教育等を除く歳出の25パーセントを削減するという非常に驚くべき改革を行ったのです。また、新しい法律を導入して、新しい財政ルールを導入しました。それから成長戦略、法人税の減税など、矢継ぎ早に改革を行ったわけです。
この改革を簡単にまとめますと、まずは危機的な状況に対応するための非常に強い政治的なリーダーシップがありました。想像してみてください。医療・教育等以外の歳出を25パーセントカットするのは、並大抵のことではありません。さらに予算制度改革を行って、新たな法律の枠組みを導入しました。
また、労働党政権の成長率楽観視を反省して、「予算責任庁」という組織をつくりました。財務省の中の経済・財政の予測部門を財務省の中から独立させ、新しい組織として独立的に経済や財政の予測をするような機能を持たせたわけです。財務省の中に置いておくと、政治的なバイアスがかかって、楽観的な予測になります。こういう問題を解決するために新しい組織をつくったわけです。
それから、財政再建を達成するために新しい中期財政フレームを導入しました。法人税減税をしますが、これによって財政赤字が大きくなるわけですが、これを他の税目の増税や歳出削減で賄うという中期財政フレームです。
さらに、財政再建によるデフレ効果を和らげるために成長戦略や法人税減税の仕組みを導入して、この後イギリスの成長率のパフォーマンスはOECD先進国の中では最も良いといわれる状況になりました。
●60年代以降のドイツの消極性と2009年の抜本改革
次はドイツです。ドイツは1960年代にいくつか予算制度改革を行ったのですが、それ以後はあまり改革を行ってきませんでした。非常に後ろ向きといわれ、日本と同じようだという批判もされました。日本と同じだったのは、建設国債原則の導入です。ただ、ドイツの場合、建設国債で賄えない経常経費などが一般税収でも賄えない状況になっても、別に何も起こらないということで、財政ルールが事実上形骸化してしまったのです。
この最終的な危機が、ギリシャ危機でした。ドイツ自身の財政赤字がそれほど悪かったわけではありませんが、ギリシャ危機の影響を受けて、ヨーロッパ全体に非常に厳しい状況が広がったのです。
そこでドイツは、抜本的な改革を行いました。その柱が、2009年の「連邦基本法」改正です。日本でいえば憲法といえるこの条文の中に、政府は財政赤字の上限を書きました。具体的な数字としては、名目GDP比0.35パーセント以内の財政赤字しか許されないと明記したわけです。
もちろん、いろいろな災害などの状況が起きれば、0.35パーセントを超えて借金することはできますが、もしそうした場合でも、新たな借金は別勘定に移して、きちんと返さなけ...