●人種と道徳観念の関係を論じた『Natural History of Man』
カール・フォン・リンネの100年後にチャールズ・ダーウィンの時代になるのですが、その頃に書かれた『Natural History of Man』(1855年)という本があります。これは私がイギリスにいる時に古本屋さんで買ったものですが、『Natural History of Man』ですから「人間の自然史」ということになります。プリチャード(James Cowles Prichard)という医者が書いたのですが、とてもきれいな図版がたくさん入っています。今日は2巻あるうちの1巻しか持ってきていないのですが、きれいな図版がたくさんあって、このようにインドの人の格好や衣装が手書きの絵で入っていたりする、すごい本です。
『Natural History of Man』の副題が、「身体的、道徳的な作用が、人類の異なる部族において、どう変容を起こさせるかの影響についての考察」となっています。ですから、いろいろなことで、いろいろな人種やグループが変容していくが、そこには身体的なものと道徳的なものがあると考えているのです。
それはキリスト教の聖書の考えとして、神様が人間を創った時に道徳観念というものも人間に与えた、ということになっているので、人間なら必ず道徳観念があるはずだということなのです。そして、世界中で民族、部族、文化が違うと道徳も違うということが分かってきました。そうした場合に、体の様子が変わる、違うということと、道徳も変わるということを結び付けながら、世の中にたくさんいる、いろいろな文化の集団とか人種的なものを説明しようとしました。ですから、これも基本は結構、差別的です。
●19世紀、人類学の成立と先住民の扱い
そういう流れがずっとあって、人類学は人の頭の大きさを測ったりとか、肌の色を色見本のようなもので白いものから黒っぽいものまで並べて、この人種はどの色だということを調べたりするなど、いろいろなことをしてきたわけです。
そして、西欧諸国によって世界中が植民地化して征服されていった19世紀に、いわゆる人類学が成立するので、先住民に関する記録、標本収集、生体計測、つまり体を測る、頭を測るなどということが人類学の普通の手法になったのです。
そこで、19世紀の人類学成立期ですが、アメリカの人類学者は、アメリカ先住民がどういうグループかということについて子細に細かく記録をします。記録をする一方で、住民のお墓を暴いて骨を収集し、古い骨を計測したり、どういう形をしていたかを調べ、その人が何千年前にいたのかというようなことを研究したりしました。同時に、文化遺産、例えば衣装といったものも全部大量に略奪するわけです。スミソニアンという大きな自然史博物館がありますが、あのようなところにある膨大な量の物は、いわば皆そうやって勝手に収奪したものであったのです。
大英帝国も同様で、オーストラリアの原住民のアボリジニーの人とか、ニュージーランドのマオリの人々などの物もとったし、骨もとりました。また、生身の人間を連れてきて万国博覧会で展示までしました。そのような時代であったし、もちろん人権ということが一部の西欧の男性社会以外に広がっていない時代でしたから、それはそれはひどかったのです。
●明治期、日本の人類学者はアイヌや琉球の人々をどう扱ったか
そして、明治期に、日本にこういう人類学が導入されました。ですから、エドワード・モースが有名ですが、お雇い外人としてやって来た彼らはこの当時の人類学を日本に持ってきたわけです。また、日本の人類学者として育っていく人は、もともと医学部の解剖などをやっていた人が多いのですが、もちろん、そういう人たちがこの手の人類学を最新のものとして教わりました。
アイヌや琉球の人々は日本に昔からいて、大陸から日本人の祖先が渡来する前からいたという意味では「先住民」といっていいと思いますが、その人たちを研究したいという人類学者も当然いました。そこで、研究のため骨も持ってくるわけですが、その時、時代の価値観として、多様な人がいるということではなく、序列で扱われました。
ですから、先住民は日本人の下に見られたのです。アイヌには北海道に植民してアイヌの人々を日本人として同化させようとしたという歴史もありますから、その時、本当に序列で下と見なして、ほとんど承諾も取らずにいろいろな物を取ってきてしまったわけです。
現代の人類学は、決してそうした人種差別とか植民地主義を内包しているわけではありません。今も、日本人の起源を探ろうとしていろいろDNAを取ったり、骨が出てきたとき、その骨から形などを測ったりしている人類学者はもち...