●家中組織の構築により、一元的な統治を形成
前回お伝えしたことが、各村落を権力支配基盤としている、領国統治の性格です。権力基盤となっているのは、家来たちです。こうした戦国時代の家来組織は「家中」と呼ばれています。この家中という組織が、領域化とともに成立していきました。端的にいえば、特定の領国の中に存在している領主全てを、戦国大名の一元的な主従制に基づき、家来組織として編成をするという行為がなされていたのです。
前回少し触れた通り、それまでの領主は、自分の所領の村の争いに対して支援要請があれば、武力を行使していました。それにより領主同士の争いが展開されていたのが、室町時代までの状況です。戦国時代は、戦国大名が単位となって戦争をしているので、領国内において家来同士の戦争が行われていると、対外戦争をすることができません。それゆえ、戦国大名が成立するということは、実は同時に、そうした家来同士の戦争が生じないような仕組みがつくられているということなのです。
そのためになされていたのが、家中構成員の自力による解決の禁止です。戦国大名は、当時の言葉で同量報復を意味する「相当」や武装を意味する「兵具」、支援を意味する「合力」を規制していました。これは「自力救済」というキーワードになるのですが、家来には、自力救済によって問題を解決させず、また、家来が抱えている問題についても全て戦国大名の当主が裁判で解決をすることで、家中という組織を構築していました。
●領主同士の戦争回避のため、主人の裁判で解決する仕組みが構築
個別の領主の存立については、彼らも所領の村から年貢を取らなければならないわけですが、そのためには、かつては生産資源をめぐる争いに対する支援を求められた、その見返りとして年貢を払ってもらっていました。しかし、戦国大名の構造として、家中構成員が自分たちで問題解決することができず、主人である戦国大名に訴訟して、その判決によって問題を解決していく形に変化していきました。個別の領主が存立していくということは、主人である戦国大名に決定的に依存するようになるということです。これにより互いの紛争を回避して、主人の裁判によって解決する仕組みが構築されていきました。
それを極端に表現するのが、「けんか両成敗法」と呼ばれるものです。要するに、武力行使をしただけで処罰を受けるのです。これが、戦国大名の法律として各大名で制定されていった背景には、上で述べた構造があります。これにより、室町時代まで社会を規定していた、村同士の戦争が、領主同士の戦争に展開してしまう回路を切断したのです。村同士の戦争は存続していましたが、それが領主同士の戦争にリンクしなくなり、領域権力である戦国大名同士の戦争が展開されていく状況が生み出されていきました。
●権力構成員である家中と権力基盤である村の同時成立
戦国大名がどのような性格の権力であったのかについて、当事者が表現している言葉があります。「給人も百姓も成り立つように」という言葉です。これは直接的には、戦国の戦乱を収束させた羽柴秀吉が、ある地域の復興政策の中で述べているものです。給人とは大名の家来のことで、百姓とは村のことです。家来も村も両方が存続できるようにするのが、戦国大名の権力の在り方でした。
もちろん、政治的な支配を行い戦争をする上で、実際の戦国大名の手足になるのは家来たちでした。しかし、戦国大名と家来たちに対して納税をするのは村です。そのため、納税主体である村が存続していないと、戦争もできなくなります。これが領域権力というものの基本的な性格です。要するに、領域内の生産者が納める租税によって権力が維持されるわけです。それが領域権力の特徴であるため、その租税を納入する村をつぶしてしまうと、自らの存立ができなくなります。納税が可能な状態を維持しなければいけないというのが、基本的な姿でした。これもやはり、室町時代までの領主権力とは違う性格です。
●村の存立を保障することで戦国大名の地位を確立
室町時代までは、極端なことをいえば、日本全国にそれぞれ自分が獲得できるような権益がばらばらに存在していて、そのうちの1カ所が駄目になっても、それ以外のところからその分を補塡すれば良いという発想でした。ところが、領域権力の場合、その領域内に存在している村が租税を負担する能力がなくなってしまうと、たちまち自分たちの存立に影響を与えます。そのため、領域内の納税者たち、つまり村の百姓たちの安定的な存続というものに取り組まざるを得なくなっていったのです。
戦争が日常化しているので、他地域の大名による侵攻を防ぎ村を存続させるために、戦争被害からの保護によって、領民に対して平和と安全を保障することが求め...