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なぜカトリックに飛び込んだら、日本の核心が見えたのか

渡部昇一に学ぶ教養と明朗(6)先祖信仰とカトリック

概要・テキスト
カトリックは、キリスト教への信仰のなかから「魂の不滅」を掴む。一方、古来日本人は、「先祖が見ている」「子孫からも恥ずかしくない先祖になれ」というような考え方を通して「日本的な魂の不滅」を実感していた。渡部昇一先生には、その両方の感覚が色濃くあった。渡部昇一先生は、むしろ、カトリックに飛び込んだことによって、より客観的に「日本的な魂の不滅」を捉え直したのではないか。キリスト教の「ゴッド」と日本の「神」は異なるが、先祖崇拝をしている日本人ほどキリスト教や「ゴッド」を理解しやすいものである。そして日本人は、外国人の著作でも、キリスト教に立脚しつつも仏教的な感覚を帯びたものを愛するのである。(全10話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:14:03
収録日:2020/09/09
追加日:2020/11/13
カテゴリー:
≪全文≫

●日本的な先祖崇拝とカトリックの融合から生まれるもの


―― そういう死生観を持つというのは本当に大切なことですね。

執行 人間の中心です。私の持論として、死生観を失ったことが今の日本人の一番の弱さだと思っています。死生観を持つことは、人間の生きる中心です。これがないと、死に方が決まらない。死に方が決まらないと、生き方が決まらない。これはもともと人間が持っていた常識です。どう死にたいかが決まると、どう生きるかは自動的に決まる。これがないので、今の日本人は右往左往しているのです。

 昔の日本人が一番簡単だったのは、「先祖のとおり死ぬ」ということです。これは立派な死生観です。親が生きたとおり、おじいちゃんが生きたとおり、つまり自分の家の職業があり、親父がしたことをやって死ぬ。これも死生観です。こういう簡単な死生観を、今は誰も持てなくなってしまった。だから死生観をつくるというと、やれ思想を立てなければならないとか、哲学だ、宗教だと、大変です。でも本当は、簡単な話です。

 玄一さんが答えられていましたが、昇一先生の死生観の中心になっている「天」という概念。これは著作を読んできて思うのですが、私は「先祖」のことだと思う。

渡部 それは、すごくあると思います。

執行 先祖が、昇一先生の中で、「神」や「天」になっている。だから純粋のカトリックではない。日本的カトリックだと、私は思っています。

渡部 小さい頃、叩かれるときは「俺が先祖に申し訳ない」と言われてましたから(笑)。「お前みたいな……」。

執行 「おまえみたいな不肖の息子を持って」と(笑)。

渡部 そうです(笑)。それで叩かれました。そして、「おまえがこれをこれ以上続けるなら、先祖に申し訳ないから、お前を殺して俺も死ぬ」ぐらいのことを言う。

執行 元々の日本人が持っている一番基本の考え方です。

渡部 怖かったですよ、「やりかねない」と思いましたから。

執行 昔はみんな本当にやりました。真面目な日本人ほど、そうです。

―― 私もよく「おまえを殺して俺も死ぬ」とは言われたものですが。悪さをいろいろしましたから。本当に日本人の特徴です、そういう叱り方は。

執行 私もずいぶん、家を追い出されました。「おまえは執行家の人間じゃねえ。おまえのような奴は、わが家に生まれるわけはない」と言われて、何回も叩き...
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