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「三部の本書」と『古語拾遺』の特徴と面白さに迫る

世界神話の中の古事記・日本書紀(9)四書四様の面白さ

鎌田東二
京都大学名誉教授
情報・テキスト
長らく『日本書紀』が国家の公式文書であった一方、『古事記』が注目されるようになったのは江戸時代、本居宣長によってであるとされている。だが、『古事記』も『日本書紀』も、それ以前にも読まれていたのではないかと語る鎌田氏。そこで、「三部の本書」とよばれる古代の重要な文書『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』に『古語拾遺』を加えた四書の特徴、その位置づけについて解説する。(全9話中第9話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:14:05
収録日:2020/10/05
追加日:2021/06/02
タグ:
≪全文≫

●「三部の本書」『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』の位置づけ


鎌田 『古事記』は本当に難しい。「あめつちはじめてひらけしとき」は、漢字だけで見ると「天地初発之時」となります。「天地初発」をどう読むかということだけで相当、研究者でも議論があります。「あめつちはじめてひらけしとき」、「あめつちはじめてひらくるところ」、「あめつちのはじめのとき」など、4通りにも5通りにも読み方がある。『古事記』を正確に読むことについても、一つ一つ細かく吟味していくと、とても議論が百出して、難しいところでもあるのです。

―― これはよく知られているように、今のように読めるようになったベースを本居宣長が作ったということですよね。

鎌田 はい。でも、『古事記』は本居宣長以前にも重要視されていた面もあります。中世の吉田神道をつくった立役者・吉田兼倶(よしだかねとも)がいます。吉田神社は春日大社の京都における勧請をした神社なので、タケミカヅチ、フツヌシ、アメノコヤネノミコト、ヒメガミという春日の神様を祀っています。それを祀っていた人々は卜部氏です。吉田神社を預かっていたので「吉田卜部」と言い、吉田の姓を名乗るようになっていきます。

 その卜部氏は、中臣・藤原氏の管轄にあったと思います。私は、もともと卜部氏と中臣氏は血筋も同じ、ほとんど同族であると思っています。だから、その同族である中臣氏も卜部氏も、『日本書紀』をきちんと読んできた。『日本書紀』を読む家だったのです。

―― それは読み方を相伝しているということですね。

鎌田 そうです。読み方も相伝しているし、読み方の注釈のようなものも伝えている。公式には中臣も卜部も、『日本書紀』を講読する家柄のラインにあったのです。

 その卜部氏が、古代に重要な文書が三つあった(「三部の本書」)と挙げています。その三部の本書とは、『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』です。『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』を三部の本書に挙げているわけですから、吉田氏、卜部氏が『古事記』をきちんと読んでいたことが分かります。そして同時に、『先代旧事本紀』も重要視していたことも分かる。もちろん『日本書紀』も持っていた。

 それに対して、「わが家にはこんな文書が伝わっていますよ」という、一種のオカルト文書を卜部氏は独自に創作し、偽書のような形で権威づけていきます。これが吉田神道の『唯一神道名法要集』という書物の中の一部分にあります。これを読むと非常に面白い。何が面白いかというと、『日本書紀』だけではなく、『古事記』『先代旧事本紀』も、室町時代に読まれていた可能性があるのです。

―― その偽書といわれるものの中に入り込んでいるということですか。

鎌田 はい。『日本書紀』などを読んでいく上では、神話的な物語を参照する文書が必要です。そういった神々の物語や系譜を考えていく家々においては、『古事記』も『先代旧事本紀』も重要な一書という位置づけだったのです。

 『日本書紀』を講読していくときに、公式にはどう読むのか、どうコメントを付けていくか、どういう解読をするのが正しいのか、そういったことの参考書として、『古事記』や『先代旧事本紀』を使っていたのです。


●『古語拾遺』『先代旧事本紀』の信憑性


鎌田 私は『先代旧事本紀』は面白いと思いますが、やはり後世のものだと思います。なぜかというと、系譜や伝承の構造が、極めて明確に体系化され、整理されているからです。平安時代以降になって、いろいろな文書が現れて相対比較しつつ、自分の家の伝承を整理できる余裕がないと、あれほど構築的な『先代旧事本紀』はできないと思います。だから『先代旧事本紀』は、神話伝承が書かれたものの中では一番後、平安時代の中頃には出来上がっていたと思います。『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『先代旧事本紀』という順序でできたのではないか。

『古語拾遺』は、きちんとまえがき(断り書き)が書かれていて、忌部氏が自分たちの家の伝承の権威を回復するため、名誉挽回のために書いたものです。執筆意図が明確です。だから、読んでいても、とてもクリアなのです。中臣氏が自分たちの思うままに、伊勢の大中臣として伊勢神宮の祭祀を独占している、宮中祭祀を自分たちの一族で独占している。忌部氏はもともと中臣氏と対抗するような祭祀勢力だったのですが、その忌部氏と猿女の地位が非常に低下してしまったことを嘆きながら、その名誉回復をめぐって書いた抗議の書、という面があるわけです。

 だから、「自分の家に伝わっているのはこのような伝承だ」ということを、自分の立場を鮮明にしつつ、書いてくれている。かつてはこのように、家々に伝承があったのだろうということを推測させるリアリティがあるのです。

『古事記』に...
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