●民主主義社会ではみんなに教養が求められる
―― さらに、わたしが非常にこのご本(『人間にとって教養とはなにか』)で印象深かったのが、もともと教養とは、先生がおっしゃったように、リーダー層のためのものだったということです。社会のリーダー層が、社会の人びとをうまく導くために身につけるべきものが、いわゆる古典的な意味での教養だというお話でした。
しかし、非常に大衆民主主義化した現代社会においては、教養とはリーダー層だけに必要なものではなく、全ての人が身につけるべきものであると書かれています。その理由は第一に、自分の喜びのためです。第二に、民主主義的な社会をより良く成立させるためです。そして第三に、人びとと手を携えて、より良い社会をつくり出すためです。これは別にリーダーにならずとも、皆さんが持ってなければいけないんだという非常に力強いメッセージを書かれていました。それぞれがその覚悟を持たなければならないということですね。
橋爪 民主主義の社会とそうでない社会がありますよね。
―― はい。
橋爪 民主主義でない社会では、何かの決定をしたときに、こっちの決定をするか、あっちの決定をするかを、いちいちみんなに聞きません。どこかの誰かが決めたら、それで決まりというやり方です。
―― 決定がばっと出されるということですよね。
橋爪 皇帝や王様、独裁者など、いろいろいるわけですが、誰か力のある人が決めます。そして、他の人は蚊帳の外に置かれていて、言われたことをやるだけという状態です。
このような状態だと、いろいろまずい点があります。なにより、大部分の人は「フォロワー」となってついていくだけで、自分の人生の主人公ではなくなってしまいます。自分の人生が、右に行くか左に行くか、他の人に言われて決まるという状態なので、つまり、自分のことが自分で決められないということです。
自分の生き方を誰かに決められてしまうというのは、権力の問題と関係しており、誰かが権力を握っていて、自分には権力がないという状態です。この状態では、みんなで一緒に生きていくときにとてもマズイと思ったわけです。
その結果、歴史上のいろいろな努力があって、そのように誰かが権力を独り占めにするのを止めましょうということになりました。そして、みんなが自由に意見を言って、みんなの相談と合意によって自分たちの運命を決めていくという民主主義が登場しました。民主主義とは、権力の代わりに一人一人の意思決定を主役にするという考え方です。
そうすると、昔は皇帝や王様が意思決定していればよかったことを、今は人びとが一人一人、自分で意思決定しないといけません。そうすると、全員に教養が必要になります。そして全員に教養が行きわたると、その分、意思決定の質が高まります。その分、世の中が良くなります。こうした構造のため、教養は自分の喜びでもありつつ、社会を良くする源泉でもあるのです。今ご指摘いただいた箇所には、ここをよく理解しなければいけないと書いてありますね。
●分断社会の発生とマスメディアの衰退
―― 実際に政治の実務を執るのは自分たちではないにしても、政治を考える上では当然教養が必要です。教養がなければ、誤ったリーダーというか、間違ったメッセージを発するリーダーに、うっかりポピュリズム的に騙されてしまい、それによって危機がやってきて、とんでもないことになりかねないということですね。
橋爪 はい。今問題になっているのは、「社会の分断」です。
分断とは、こちらのグループの人が考えたり感じたりしていることと、あちらのグループの人たちが考えたり感じていることが全然違っていて、話が通じないということです。
分断されている社会では、当事者たちは別に分断されていると思っていません。ただ素直に、自分の感じ方や日常の現実の中から学んだこと、感じたことを「そうだよね。そうだよね」というように、グループとして表明しているだけです。
ところが、別のグループの人たちは全く別なことを感じていて、「そうだよね。そうだよね」と意見を表明しても、前のグループとは別の考えになってしまいます。すなわち、これが社会の分断であり、意見がぶつかってしまうのです。アメリカでは、大変見やすい形でぶつかっていますが、この分断は、今世界中で起こっていると思います。
そして、分断と格差は結びついています。格差については、昔の階級闘争のようなものをイメージするかもしれません。しかしこの分断は、階級闘争や格差のような、100年も200年も続いている問題とは違った質の、新しい問題だと思います。
これには、新聞やラジオ、テレビなどのマスメディアの力が弱まってきたことと関係があると思います。今は、みんな自分でメッセージを発...