●源頼朝と苦労をともにした北条政子と東国武士
―― 最初の講義で、北条政子は源頼朝と結ばれたことで人間的にもだいぶ成長し、深みが出てきたというお話がありました。もともと政子はどういう人間だったか、どのように成長したのかという点について、どのように見ておられますか。
坂井 北条氏は中規模程度の武士団で、北条時政の父親の名前すら確定していないほどです。ですから、政子の幼少期や若い頃のことは、当然のごとくあまり分かっていません。成長した政子からさかのぼって、若い頃はこうだったのか、あるいは若い頃はそうした才能はなかったが新たな経験を積むことで才能が花開いていったのかと考えざるを得ないわけです。
ともあれ政子も頼朝と一緒に大きな苦労をします。何といっても挙兵の第一戦が、山木兼隆を攻めるというものでした。ここを北条氏とその他少しの軍勢だけで攻めるのですから、勝てるとは限らない。もちろん勝てなければ逆に殺されてしまうかもしれない。そのような大変な状況の中で、政子も父の時政や弟の北条義時を送り出すわけです。それは、かなりの覚悟が要ることでした。
さらに、石橋山の戦いで大敗をしたという知らせが、政子のもとに届きます。この時、政子は伊豆山権現というところに匿われていました。女性だったので避難していたわけですが、時政の後妻の牧の方と、後に阿波局といわれる政子の妹なども一緒になって、戦勝祈願のお祈りをしていました。
そこに、大敗を喫して、生きているか死んでいるかも分からないという知らせが届きました。もちろん生きた心地はしなかったでしょう。そのような普通に生きている人生の中では考えられない壮絶な体験を、政子はしているのです。結局のところ、頼朝は生きていて、奇跡的な逆転勝利を収めていくことになりました。
したがって、政子は平和な現代に生きている現代の私たちには到底考え難い体験を積み重ねているのです。また、それを周りの御家人たち、東国武士たちも知っています。政子は彼らに見られている。政子も彼らを見ている。そして、頼朝も政子を見ている。政子も頼朝を見ている。そういう関係で、源平の合戦もずっと勝ち上がっていくということを、政子は体験していました。これはやはり人間を大きく変える要因だと思います。
もちろん東国武士たちが頼朝を支えなければ、勝つことはできません。その頼朝は、最初は東国武士を利用しますが、徐々にその上に君臨しないといけない地位になってきます。そこで、非道なこともするようになります。
例えば自分の言うことを聞かない上総広常(かずさひろつね)、武田(甲斐国)のほうの一条忠頼(いちじょうただより)などを誅殺、要するに罰を与えて殺害します。さらに木曽義仲とは和議を結んだ証拠として義仲の息子を人質として鎌倉に呼び入れるのですが、いざ義仲との関係が悪化して彼を滅ぼすことになると、人質に来ていた、まだ子どもの木曽義高を殺してしまいます。
このことは、義高の許嫁という形になっていた大姫という頼朝の長女に大きなショックを与え、精神的なダメージを受けて病に伏してしまうということも起こります。
頼朝は地位を上げていくと同時にそのような厳しいことをやっていくのです。そうなると、御家人たちも言うことを聞かざるを得なくなってきます。最初はお互いに利用し合っていたのですが、徐々に頼朝は御家人たちを完全に従えるという地位に就いていくのです。
●北条政子が果たした「おかみさん」の役割
坂井 妻である政子も「御台所(みだいどころ)」「御台さま(みだいさま)」と呼ばれるようになり、御家人たちよりずっと上の、いわばファーストレディになっていきます。するとファーストレディなりの振る舞いをしなければいけなくなりますが、元は田舎娘で東国の武士たちのこともよく分かっている人です。
頼朝は貴種として都で生まれ育ってから下ってきた人間ですが、政子は伊豆で生まれ育った、ありふれた武士の娘です。したがって、地位が上がり役割が変わっても、武士たちの気持ちは分かる。そこで、頼朝と武士たちをつなげる役割を果たしていくことになります。
私はこのことを最近では「相撲部屋のおかみさん」に例えています。親方は頼朝で、弟子たちは御家人たちです。親方のほうは彼らの指導をするし、後半ではずば抜けた地位に就く。けれども、お相撲さんである弟子たちは、親方には怖くて言えないことをおかみさんに打ち明けたり、弱音を吐いたりする。これは、親方の陰でおかみさんが部屋の弟子たちを上手にまとめているというわけで、そうしてうまく回っている相撲部屋は非常に発展すると思います。
そのような役割を政子は果たすようになります。そこには御家人同士の対立もありますし、頼朝が罰を加えた御家人の遺族たちも...