●悲劇と喜劇の語源と作劇における違い
ギリシア悲劇とは何かについて、もう少し説明を加えていきます。なぜなら、私たちが知っている演劇とギリシア悲劇はかなり違うからです。
その特徴を見る前に、まずこれが「詩」だということを強調しておきたいと思います。ギリシアの詩には韻律があるので、私はなかなかうまく読めないかもしれませんが、あとで取り上げる『オイディプス王』という作品の最初の3行を読んでみます。全てが非常に特殊な韻律の詩でつくられているので、普通の口語表現とは少し違います。
では、『オイディプス王』の最初の部分のセリフを読みます。
今3行分読んだのですが、長短といった規則が張り巡らされていて、実は作劇上でも非常に難しくなっています。観るほうはそれほど意識しませんが、全体としては普通のしゃべり言葉よりも歌に近い形になっていることが特徴の一つです。あとで少し朗読も入れます。
“tragedy(トラジェディ)”という単語は、もともと“tragoidia(トラゴーディア)”というギリシア語で、「ヤギ(トラゴス)の歌」という意味です。悲劇の「悲」である「悲しい」という意味はありません。
もう一つは、これと対になる「喜劇」と呼ばれている“comedy(コメディ)”です。こちらは“komoidia(コーモーディア)”という単語からきていて、“kome(コーメー)”は、「村、村落」という意味です。こちらも「楽しい」という意味はありません。
悲劇と喜劇はセットで上演されています。日本語では中身を取って「悲劇」「喜劇」と訳されていますが、必ずしも「悲しい」あるいは「楽しい」という意味ではありません。 そのため、悲劇と呼ばれているものの中には、ハッピーエンドのものもあります。「悲劇じゃないじゃないか」と思うかもしれませんが、今言ったような意味がもとにあるのです。また、悲劇詩人がつくる中には「サテュロス劇」というものもあり、能に対する狂言のような形で、少しコミカルなものもつくっています。それも併せて悲劇とすると、悲しいものには限られないところがあります。
悲劇と喜劇は両方とも同じ時代に盛んになったものですが、作劇上のいくつかの違いがあります。一番大きな違いは設定です。悲劇は基本的に神話を題材にしており、当時観ている観客からすると、はるか昔のおとぎ話の世界にいる英雄たちの姿を描いています。
それに対して、喜劇はだいたい同時代のリアルなもので、実際に目の前にいる人たちの名前が出てきたり、その人たちを批判したりするような劇が行われ、役割も雰囲気も全然違います。当然コミカルになってくるのは喜劇です。
悲劇も最初の頃は歴史的なものを扱うので、いわば同時代的なものもあったらしいのですが、政治的な含意が入ってしまうので徐々に避けられました。
神話としては、何といっても「トロイア戦争」が一番大きなテーマです。『イーリアス』『オデュッセイア』で、皆さんご存じの英雄たちの話です。しかしながら、その少し前のオイディプス王の話や、ヘラクレスやテセウスといった英雄の話もたくさん取り上げられて、私たちが知っているギリシア神話の世界が実際に劇として展開されていると考えられます。
●ギリシア悲劇の特徴その1:祭事の一部として行われた
さて、これはまず驚くべきことなのですが、ギリシア悲劇は毎年新作がつくられて、毎年一回だけ上演されていました。つまり、現在まで2千数百年残っているあの傑作が、毎年その年に新たにつくられて、一回上演されたということです。
どういうことかというと、「市(まち)のディオニュシア祭」というメインの祭りと、そのあとにできた「レナイア祭」という、両方ともおそらく3月の春先くらいに行われるディオニュソスの神様に捧げる2つの祭りがあり、それに合わせて毎年春にアテナイのアクロポリスの東南に今でも残っている半円形の「ディオニュソス劇場」という大きな劇場で上演されるのです。おおよそ1万5000人くらい入ったのではないかといわれていて、町の人たちが楽しみに観に来ます。
日中・野外というのは当然といえば当然ですが、照明はせいぜいかがり火しかない時代なので、日中に野外で行われました。これはお祭りの一部として行われているので、7日間ほどのフルスケールで続きました。前夜祭から始まり、合唱隊によるディテュランボス(合唱抒情詩)のコンクールがあったあと、3つのセットを3人の悲劇詩人が1日ずつ上演するのがフルスケールのパターンです。
どういうことかというと、1日1人の詩人が3つの悲劇作品と1つのサテュロス劇の計4つの作品を朝から午後まで連続して上演するのが1セットです。2日目には2人目の詩人、3日目には...