●浦島伝説に似た「オシーン伝説」
鎌田 これ(浦島伝説)と同じような物語が、オシーン伝説としてアイルランドにあります。
英雄物語のパターンなのですが、(主人公オシーンの)母親はかつて魔女に魔法の力でシカに姿を変えられ、(オシーンの)父親と出会うことによってシカの姿から本来の美しい娘の姿になり、結ばれるという本当に波乱万丈を経て、オシーンというシカの名前を持つ子どもが生まれてきます。
そのオシーンが英雄の1人なのですが、オシーンの前に白馬にまたがって海を渡ってきた常若の国の王の娘ニアヴ(他にニアムなどいろいろな訳し方があるので一定しないのですが)という女性がやってきます。日本神話であれば大亀が麗しい女性の姿になりますが、アイルランドでは白馬にまたがって海を渡ってきて、そしてオシーンの前に立ち現れます。
―― いずれも海の向こうからやって来るというイメージですね。
鎌田 そうですね。そうして海の向こうからやってきて、そして誘われ、常若の国(ティル・ナ・ノーグ)に行く。そこで楽しく3年間の時を過ごすのです。
この話は数としても日本神話と似ています。3年や300年など、3という数字が結構多い。3組の神様、三位一体、三神同一などといった具合です。
そしてある日、故郷のアイルランドを思い出して望郷の念に浸っていたときに、ニアヴはそれに気づきます。夫(オシーン)がそのような思いをしているので相談の上、常若の国(ティル・ナ・ノーグ)から一度、故郷のアイルランドへ帰ることになります。
そのとき、愛しい妻になっていたニアヴは「アイルランドに帰ったら、絶対にその国の土に触れてはいけない」と言います。日本の場合は、玉手箱を渡して「玉手箱を開けてはいけない」でした。
オシーンは馬に乗ってアイルランドに戻るのですが、アイルランドに住んでいる人を助けようとして(馬から)転げ落ち、それによって土に触れてしまいます。この場面もさまざまな話型(バリエーション)があります。とにかく白馬から転げ落ちて土に触れたために、たちまち300年のときが過ぎてしまった。日本神話とまったく同じですね。3年、300年というところが、です。常世の国の1年がわれわれの国の100年だから、3年で300年。ユーラシアの両端が同じ時間の単位をもって、常世の国と常若の国(ティル・ナ・ノーグ)という話をしているのです。
要するに、これまで不老不死的な世界にいたオシーンは、ただの年老いた老人になってしまい、二度と常若の国(ティル・ナ・ノーグ)に戻ることができませんでした。そして放浪しつつ、自分の死生観、自分の経験の語り部になっていくのです。
●自分の経験を後世に語りつぐ「長老の死生観の開陳」
ここで大事なポイントは、その後の浦島太郎は何になるかです。つまり老人になった浦島太郎は何になるのかといったら、吟遊詩人のように語り部になるしかないのです。そうして自分の不思議な経験を語っていきます。
その不思議な経験が、それを聞く子どもや周りの人に何を諭させるか。それは、この世の命というものの大切さです。この世の命には限りがある。不思議な魂の世界はあるけれど、魂の世界とわれわれが肉身・肉体を持って生きるこの世界は違うのだから、その中でどのような生き方をすべきか、といったものを教え諭す。そのような「長老の死生観の開陳」があるわけです。
オシーンは(吟遊)詩人のような放浪の旅人になっていくのですが、(いろいろな話型があり、)セント(聖)パトリックというアイルランドにキリスト教を最初にもたらしたという人物にこの話をしているという話型もあります。語り部になって、経験を語り伝える。このあたりのことが死生観という問題を考えていく上で大切です。
今回のシリーズ講義でお話ししたのは、イザナミが黄泉の国に行く話、エウリュディケーが毒ヘビに噛まれて死に、夫であるオルフェウスが追いかけていく話、そこで「見るな」のタブーがあり、それを見たために永遠の別れになってしまった話です。
浦島伝説もオシーン伝説も、「見るな」のタブーと同様に、開けて見たわけです。オシーンの場合、その戒めは玉手箱ではなく、「土に触れてはいけない」でした。でも、土に触れないでその土地に立つことは難しい。白馬にまたがって元の世界へ行って、そのまま白馬に乗ったまま帰ってくれば、元に戻れたかもしれません。要するに、飛行船に乗って目的地に行き、(そこには降りないで)そのまま飛行船で帰ってくるといったように。だけど、その地の土に触れた限りにおいては、その土の時間になってしまうということです。
日本の場合、玉手箱を開いたとたんに、その土地の空気がその人を老人にしてしまいます。土が老人にしてしまうか、空気が老人にしてしまうかは別に...