●経験したことのない時代を考えるために
―― 今、非常に大きな見立てをお話しいただいたわけですが、南北戦争の後は、アメリカにイギリスの資本がたくさん入ってアメリカが発展していったというお話でした。冷戦後は、中国や旧東欧諸国に旧西側の資本が次々と入っていき、それらの地域が次々に発展していく。それまで西と東に世界が分断していたものが一つになって大発展していく、といった絵が描かれます。
これは30年ほどずっと続いてきたものでもあるので、逆に、グローバル化ではない世界の姿が想像つかない方も今の日本には多いのではないかと思います。このあとは、どういう時代になっていくのでしょうか。
中西 そうですね、やはり人間にはどうしても世代というものがありますから、歴史から学ぶということが非常に大事な視点です。
われわれの目を広げさせてくれる新しい時代が来たときに、新しい時代にどう対応するか。自分がこれまで生きてきた時代に経験しなかったことが起こるから、新時代なのです。ですから、新時代への対応を考えるときに、経験から考えるということでは、考えたことにはなりません。その意味で、歴史から考えることの大切さがある。つまり、経験しなかったことは歴史から考えるしかないのです。
やはり大事なことは、歴史は一つの時代が終われば、その趣を大きく異にする別の時代に、振り子が振り返すように逆のベクトルが始まってくるのです。
これがどこまで進むかということは、おそらくわれわれが生きている間の今後20、30年というスパンで考えても、見通せないでしょう。けれども歴史というものは、一直線に進むものではありません。これはおそらく平成以後に物心がついて社会意識を身につけた世代にとっては、相当難しい考え方だと思います。
私たちの世代、つまりそこからさらに30年ほど早い団塊の世代、あるいは昭和、戦後派の世代にとっても、「あ!あの時代に戻るのかな。でも、それもあまり良くないな」「この時代は取りあえず終わったあと、どう対応したらいいんだ」とそれぞれに戸惑いがあるでしょう。
そういうときに大事なことは何か。これからの時代、「グローバリゼーション」という一つの呼び声でもってわれわれが理解してきたような時代がいったい何に支えられていたのだろうということを考えることが、「歴史に学ぶ」ということの出発点だと私は思います。
●日本人のグローバリゼーション論は遅れている
中西 この20年、あるいはベルリンの壁崩壊や冷戦の終焉から、グローバル化が始まったと考えれば30年ほどでしょうか。この日本人のグローバリゼーション論、グローバル化を見る目は、やや諸外国から遅れているのです。
―― 遅れているのですか。
中西 遅れています。諸外国の経済中心にグローバル化を考える人たちは、グローバル化の始まりは1980年代の初めだったと考えています。これは経済政策のパラダイムでした。いわゆる「レーガノミクス」「サッチャー改革」などといわれた市場経済化が、80年代初めから緒に就きます。
あるいは、(私の専門でもありますが)国際関係や世界秩序というものを考える、世界史・歴史をマクロに捉えて文明論的に考える歴史家にとっては、1970年代に実はグローバル化が始まっているのです。
これはどういうことか。先ほど(第1回)述べたグローバル化の要素があります。1960年代には通信手段あるいは交通手段が発達し、現代のコンピュータのもとになる技術が始まります。そしてインターネットが産声を上げ、世界のコンテナを中心とした貿易交通手段も始まりました。それから同じ1960年代にはドルが非常に弱くなってきて、ニクソンショックなどでドル基軸体制が大きく変革されることになります。
1960年代は、実は経済も政治もそうなのですが、価値観や、それまでの伝統的な社会にあった意識が大きく変わった時代なのです。つまり、個人の平等、民主主義の大切さ、あるいは地球環境の問題、情報の平準化・水準化など、そういったことも全て1960年代に始まっている。それが明らかになったから、冷戦が終わったのです。
西ヨーロッパ諸国のように消費社会になりたいと思う、個人の自由な情報の獲得を求める、あるいは宗教や信仰の自由を求める東ドイツ、ポーランド、そういった地域の人たちが、東側の社会主義を次々と足元から壊していきました。ゴルバチョフが登場したのは、実はそういう基礎があったのです。これが大事なところなのです。
日本人がグローバリゼーションを論ずるときは、ここまで視野が届きません。だから、グローバリゼーションが今なぜ崩壊しようとしているかが、なかなかピンとこないのです。
―― なるほど。
中西 重要なのは“価値観”なのです。
―― はい。