≪全文≫
山本大将の話に戻ると、真珠湾攻撃から数えて8日後にあたる昭和16年(1941)12月16日に、当時世界最大の戦艦である大和が就役している。大和は、それまで連合艦隊旗艦だった戦艦長門とは桁違いに大きく、居住性も良好だった。冷暖房完備で、エレベーターやラムネ製造機、アイスクリーム製造機まであったことから、「大和ホテル」ともいわれていた。食事には洋食のフルコースも出て、司令長官ともなると、食事のときには軍楽隊が音楽を演奏していた。
もっと面白いのは、大和は呉海軍工敞で建造されたが、同型艦の武蔵は民間工場である三菱重工の長崎造船所でつくられ、昭和17年(1942)8月に海軍に引き渡されている。同造船所は民間船を数多くつくっていたので、同じ設計でも武蔵のほうが大和よりも居住性が高かった。加えて旗艦施設も充実していたため、昭和18年(1943)2月11日にトラック島で連合艦隊旗艦が大和から武蔵に変更され、山本大将は武蔵に乗艦している。
彼は真珠湾でもミッドウェーでも「指揮官先頭」という海軍の伝統を無視し、自らの身は後方に置いていた。ガダルカナルでも、彼が先頭に立って出撃することはなかった。武蔵でも大和でも構わない、日本軍が苦闘していたガダルカナルに、なぜ出撃しなかったのか、と思わずにはいられない。
いまではよくわかっていることだが、当時のアメリカ海軍の魚雷はあまり性能が良くなかったので、戦艦大和を沈める力はなかった。魚雷が命中しても爆発しないことが少なくなく、輸送船が帰還して入港したらアメリカの魚雷が刺さっていたということもあった。アメリカの魚雷の性能が格段に向上したのは、そのあとのことである。
日露戦争で日本の勝利を決定づけた日本海海戦に勝利した、時の連合艦隊司令長官・東郷平八郎大将は、同海戦に加えて黄海海戦や旅順攻略戦でも、その前の幕府軍との戦いでも戦場に出ていた。なぜ山本長官にその気概がなかったのか、と嘆息せざるをえない。戦艦大和に乗ってから、山本長官は別人になってしまったのではないかとさえ思う。
このような事例を知るにつけ、なんとも残念な気持ちがこみ上げてきて、日本は本気で戦争をしていたのか、疑いたくなる。ああ、当時の将官にもっと「ガッツ」があればと、あまりの慨嘆に天を仰ぎたくなるのである。
すでにご登録済みの方はこちら
情報・テキスト
東郷平八郎
近代日本人の肖像
1941年12月、当時世界最大の戦艦である「大和」が就役したが、その居住性は「大和ホテル」と揶揄されるほどすこぶる良好で、連合艦隊司令長官・山本五十六大将は、この大和に乗船してから変節してしまったのではないかとさえ思われる。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第一章・第12話。
時間:03:54
収録日:2014/11/17
追加日:2015/08/13
収録日:2014/11/17
追加日:2015/08/13
カテゴリー:
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。
同じシリーズの講義
-
1 半藤一利氏のベストセラー『昭和史』が持つ危険な面とは? 本当のことがわかる昭和史《1》誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(1)「客観的かつ科学的な歴史」という偽り -
2 張作霖爆殺事件はなぜ起きたのか?その真相に迫る 本当のことがわかる昭和史《1》誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(2)あの当時、相手側が何をしたのか -
3 張作霖は日本軍のスパイとしても活躍した男だった 本当のことがわかる昭和史《1》誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(3)張作霖はソ連にとっての大いなる邪魔者 -
4 リットン調査団の真実!もし調査が数年ずれていたら… 本当のことがわかる昭和史《1》誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(4)イギリスはわかっていた -
5 東京裁判で不採用だった一級資料本『紫禁城の黄昏』とは? 本当のことがわかる昭和史《1》誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(5)田中隆吉vs『紫禁城の黄昏』 -
6 平成に入り明らかとなったノモンハン事件の衝撃的真相 本当のことがわかる昭和史《1》誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(6)「ノモンハン事件は日本の大敗北」は誤り -
7 日本の戦車はソ連の25倍以上頑丈だった! 本当のことがわかる昭和史《1》誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(7)司馬遼太郎がノモンハンを書かなかった理由 -
8 占守島の戦いで健闘空しく停戦命令…負け方が下手な日本 本当のことがわかる昭和史《1》誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(8)日本軍は負け方を知らなかった -
9 学歴よりガッツが重要だ…三川軍一とガダルカナル島の敗戦 本当のことがわかる昭和史《1》誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(9)エリート軍人たちと「ガッツ」 -
10 山本五十六は連合艦隊司令長官になって変わってしまった 本当のことがわかる昭和史《1》誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(10)なぜ大バクチは画竜点睛を欠いたか -
11 エース・パイロットが語った戦場でのもう一つの真実 本当のことがわかる昭和史《1》誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(11)上層部は身内をかばい、責任は現場に -
東郷平八郎にはあったが、山本五十六に欠けていたもの 本当のことがわかる昭和史《1》誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(12)ガダルカナルに大和は出撃しなかった -
13 なぜシナ事変が本格的な戦争にならざるを得なかったのか 本当のことがわかる昭和史《1》誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(13)シナ側が仕掛けたシナ事変 -
14 トーチカを占領できたのは日本軍をはめるための罠だった 本当のことがわかる昭和史《1》誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(14)土鼠退治と高笑い -
15 もしロシア革命がなかったら大東亜戦争はなかったはず 本当のことがわかる昭和史《1》誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(15)コミンテルンが東アジアに戦乱を呼び込んだ -
16 歴史を考える上で忘れてはいけないもう一つの視点とは 本当のことがわかる昭和史《1》誰が東アジアに戦乱を呼び込んだのか(16)「講談としての歴史」の重要性
関連講義
-
エリート、理念重視、自民党近代化…福田赳夫を深掘りする 福田赳夫と日本の戦後政治(9)ぶれない政治家と自民党での役割 -
「福田ドクトリン」と全方位平和外交…福田赳夫の真実とは 福田赳夫と日本の戦後政治(8)福田政権「3つの功績」 -
『街道をゆく』で旅を続ける司馬遼太郎の夢 司馬遼太郎のビジョン~日本の姿とは?(6)ウラル・アルタイ語族と司馬史観 -
なぜ「三角大福」の抗争で福田の行動がわかりづらいか 福田赳夫と日本の戦後政治(7)田中政権から三木政権へ -
徳川家康ではなく織田信長…司馬文学が描く「別の可能性」 司馬遼太郎のビジョン~日本の姿とは?(5)移動と破壊と自由の実現 -
角福戦争…派閥解消にこだわる福田vs金権政治の田中角栄 福田赳夫と日本の戦後政治(6)角福戦争と福田赳夫の敗北 -
『ペルシャの幻術師』が出世作の司馬遼太郎、実は日本嫌い 司馬遼太郎のビジョン~日本の姿とは?(4)日本嫌いと大陸ロマン -
派閥解体をめざす党風刷新運動の挫折…不遇から大蔵大臣へ 福田赳夫と日本の戦後政治(5)党風刷新運動の失敗と佐藤栄作政権 -
司馬遷を意識…“司馬遼太郎”の由来と海音寺潮五郎との縁 司馬遼太郎のビジョン~日本の姿とは?(3)司馬遼太郎ワールドと司馬遷 -
2つの所得倍増計画…経済計画の福田とスローガンの池田 福田赳夫と日本の戦後政治(4)「所得倍増計画」の2つの系譜
類似講義(自動検索)
-
太平洋戦争末期、制空権を失った日本の作戦と敗北 敗戦から日本再生へ~大戦と復興の現代史(6)アメリカの大攻勢と敗戦続く日本 -
沈没艦船は墓場なのか…水葬された遺体調査はどうなる? 戦時徴用船の悲劇と大洋丸捜索(7)海中は墓場か -
佐藤鉄太郎の7割神話が崩れ、大鑑巨砲主義を考えた日本海軍 戦前日本の「未完のファシズム」と現代(7)海軍の役割 -
現在は通貨の意味について問われる時代である 貨幣・通貨の変貌(4)ヤップ島の石貨と西郷札 -
『イリアス』の主人公アキレウスの怒りは何を意味するのか 「ホメロス叙事詩」を読むために(4)『イリアス』の世界ーその2 -
アッピア街道はなんのために?古代ローマ人の気質と戦い ローマ史に学ぶ戦略思考~ローマ史講座Ⅳ(3)支配の拡大とポエニ戦争 -
追い込まれたアメリカは同盟国を切り捨てる可能性もある 激変しつつある世界―その地政学的分析(4)実質なき時代 -
人民元や中国語の国際化は新しい中国文明を生み出すためか 宗教で読み解く「世界の文明」(9)質疑応答編その3 -
西郷隆盛や大久保利通と相いれない木戸孝允のリアリズム 幕末長州~松下村塾と革命の志士たち(14)薩長同盟 -
アラスカでの米中外交協議、激しい応酬とそれぞれの思惑 2021年米中関係と日本外交の針路を読む(2)米中外交協議と日本の国益
関連特集