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早熟度と才能を誤解しないような社会・教育システムが重要

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(8)早熟度がはげるとき

渡部昇一
上智大学名誉教授
情報・テキスト
陸軍中央幼年学校
Wikimedia Commons
「頭がいい子供を育てる」という受験勉強主体の教育風土においては、「早熟」という問題点が現われざるをえない。官僚は減点主義だから、ミスを犯さなければ出世する。ところがそのうちの少なからぬ人たちが、出世の途中で早熟度がはげてくるはずだ。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第六章・第8回。
時間:07:49
収録日:2015/02/02
追加日:2015/09/17
≪全文≫
 「頭がいい子供を育てる」という受験勉強主体の教育風土においては、私はそこに「早熟」という問題点が現われざるをえないように思う。

 私の恩師である佐藤順太先生が、「秀才と呼ばれる人の大部分は早熟であり、世間では早熟のことを秀才といっているのです」と、よく話しておられた。デュモランの『Anglo-Saxon Superiority』を私に勧めてくださったのも、佐藤先生である。

 たしかに考えてみると思い当たるふしがある。私は田舎町のさらに田舎の端の生まれで、幼稚園がないところに育ち、小学校に入るまでは、ドジョウをとったり、木に登ったり、そんなことばかりして遊んでいた。

 一方、江戸時代に高級武士だった家の子弟は、田舎町ではあるが幼稚園のある中央部に住んでいて、優等生は小学校に入る前に幼稚園に行ったり、武士の躾などを受けていた。先生はだいたい高級武士の出身である。

 彼らに比べると、私などは事前に何の訓練も受けずに小学校に入ったから、当初はその差は天と地ほどに思われた。ところが小学校の五年、六年生になると、めっきがはげてくるように、優等生たちの早熟度がだんだんはげてくる。私が学んだ小学校は藩校で、早熟の優等生がたくさんいたが、旧制中学に入ってみると、かつての優等生は一人ぐらいしかいない。みんな入学試験に落ちていて、彼らはどこに行ってしまったのだろうと不思議に思った。

 旧制中学で一番成績の良かった人は、陸軍幼年学校に行ったが、彼らの多くは戦争が終わって帰ってきてから大学に入っている。私の大学時代に仲の良かった友人が陸軍幼年学校の出身で、「お前、優秀だなあ」とよくいったものだが、彼は大学を落第してしまった。遊んでいて落第ではなく、勉強して落第しているのだ。佐藤順太先生がおっしゃっていたように、早熟度がはげたのだなと私は思った。

 陸軍幼年学校を出て将校になっても優秀な人はいるし、将校になったあたりで早熟度がはげてしまった人もいるだろう。その早熟度が、いつ頃にはげるかが問題なのであり、早熟度と才能を誤解しないようなシステムが重要ではないかと私は思う。

 たとえば、家庭が裕福で親にも教養があり、いい塾とかいい先生が付いた子供は、日本の大学では一番難しいとされる東大に行き、公務員でも一番難しいところに入るだろう。聞くところによると、官僚は減点主義だから、ミスを犯さなければ出世する。

 ところがそのうちの少なからぬ人たちが、出世の途中で早熟度がはげてくるはずだ。

 普通の会社なら、大卒の二十二歳でいい成績で入っても、そのまま重役になるのは稀である。才能を発揮しなければ、途中で幹部コースから外されてしまうからだ。

 しかし官僚の場合、ある程度頭が良ければミスはそうは犯さないから、するりと出世していってしまう。そして権力だけはどんどん大きくなっていく。もちろん中には本当に優秀な人もいるわけだが、多くの人は、遅くとも三十~三十五歳で早熟度がはげてくる。

 とするなら、私は財務省の役人の中にも、すでに早熟度がはげてしまった人たちが数多いのではないかと思うのである。そうでなければ、景気が悪いときに税金を上げればいい、などと考えるはずがない。

 これは由々しきことである。昔の殿様でさえ、おいそれと増税をしてはならなかったのだが、頭の良い人たちには、そういうことがわからなくなってしまったのだろうか。これはかつてのイギリスでも同様で、頭の良い人たちが税金を上げてしまい、結局、サッチャー首相が増税を止めている。

 そこで私は世の中を見るときに、人の早熟度を基準にして物事を考えることにしているのである。

 たとえば昔の大蔵省は秀才コースの典型で、いまは少し変わっているかもしれないが、昔は三十歳になるかならないかのところで地方税務署の署長になった。床の間を背負い、苦労を重ねて商売をしている経営者たちから奉られる中で、勘違いをするかどうかも大きいのだが、そこで本人の早熟度がはげるかどうかのほうが、もっと大きい。

 早熟度が最も問題にならなかったのは、やはり明治維新の頃だろう。当時は出世コースというものがなかったから、維新の志士たちがしょっちゅう斬られたり、ドロップアウトしていた。社会が安定し出世コースが固まると、それなりにプラスのことも大きいが、マイナスの部分が大きく出てくる。これは、大問題である。

 かつての海軍でも、艦隊司令長官クラスになると、ガッツとは関係なく出世していた。実際、海軍の提督たちは海軍大学で優秀な成績を収めた秀才揃いだった。彼らは、普通の状況では臆病ではないのだが、いざというときにガッツ不足で、九仞の功を一簣に虧いてしまうのだ。
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