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「公武合体」の検索結果

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徳川幕府を動かした「大奥」の強大な政治力とスキャンダル

江戸時代を支えた大奥(2)政治を動かした大奥の女性たち

プライベートな空間を取り仕切る場としてつくられた大奥だが、その役割は政治にも及んでいた。とくに人事面においては、その人脈を武器に表の政治を支えた大奥の女性たちがいた。大奥で存在感を発揮した歴々の女性の活躍を追う...
収録日:2023/08/21
追加日:2023/10/22
堀口茉純
歴史作家

源実朝の悲劇で誕生した尼将軍と東国武士による幕府政権

鎌倉殿と北条氏(7)源実朝から北条政子・義時の時代へ

3代将軍・源実朝は『金塊和歌集』を編んだ天才歌人として名高いなど文化的イメージが強いだけに「北条氏の傀儡だろう」という説が唱えられたが、事実はそうではなかった。実朝は「将軍親裁」を実行し、それを支えたのが執権・北...
収録日:2021/11/08
追加日:2022/02/20
坂井孝一
創価大学文学部教授

長州攘夷派が排除された8月18日の政変

明治維新とは~幕末を見る新たな史観(13)攘夷派の弾圧

攘夷派が勢いづいていた長州だったが、孝明天皇の意向が示され、一転して窮地に立たされることになる。しかし事態は、西郷隆盛の行動により変転する。今回は、8月18日の政変から第一次長州征伐への経緯について解説する。(全17...
収録日:2018/07/18
追加日:2018/12/13
島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授

吉田松陰の生涯と幕末における彼の影響力

明治維新とは~幕末を見る新たな史観(11)長州の藩是転換

攘夷の波は長州にも押し寄せる。長州もまた、開国方針から攘夷実行へ転換していったのである。これを主導したのは、吉田松陰の弟子である久坂玄瑞であった。今回は、吉田松陰の生涯と幕末における彼の影響力について解説する。...
収録日:2018/07/18
追加日:2018/12/06
島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授

西郷隆盛の復帰と島津久光の上京準備

明治維新とは~幕末を見る新たな史観(10)久光の上京と西郷

尊王攘夷の嵐が吹き荒れる中、薩摩の島津久光上京計画により、京都は大混乱に陥る。公立大学法人首都大学東京理事長の島田晴雄氏によれば、この一連の混乱は幕府と朝廷、雄藩の関係を揺るがすのに十分な出来事であった。この時...
収録日:2018/07/18
追加日:2018/10/31
島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授

海外への関心の高まりと公武合体による開国論

明治維新とは~幕末を見る新たな史観(7)公武合体と開国の道

公立大学法人首都大学東京理事長の島田晴雄氏によれば、曲がりなりに成立した開国後に重要となったのは、政治の主導権を朝廷と幕府のどちらが握るかという問題であったという。開国によって徐々に列強国を圧倒するべきだという...
収録日:2018/07/18
追加日:2018/10/28
島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授

通商条約の難局を打開した井伊直弼

明治維新とは~幕末を見る新たな史観(6)条約締結と井伊直弼

朝廷の強固な攘夷思想によって難局を迎えていたアメリカとの通商条約締結を前に進めたのは、譜代大名によって担ぎ出された井伊直弼であったと、公立大学法人首都大学東京理事長の島田晴雄氏は指摘する。大老となった井伊は強引...
収録日:2018/07/18
追加日:2018/10/27
島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授

交渉にはヤクザなガッツが必要…ハリマン協定と小村寿太郎

本当のことがわかる昭和史《6》人種差別を打破せんと日本人は奮い立った(6)ハリマン提案を蹴った「深みのなさ」

アメリカの鉄道王エドワード・ハリマンは、日露戦争後、南満洲鉄道の共同経営を日本側に申し入れ、桂首相と仮協定を結んだ。だが、小村寿太郎はこれに反対し、協定を解消させている。あのとき南満洲鉄道を共同経営していたら、...
収録日:2015/02/02
追加日:2015/09/14
渡部昇一
上智大学名誉教授

丸山眞男が吉田松陰に見出したナショナリズム

吉田松陰の思想(上)松陰像の変遷(4)宗教性とナショナリズム

さまざまな吉田松陰像に共通するのは、絶対的な者に対する没我、すなわち宗教性である。それが戦前では熱狂的な国家主義に「悪用」されたが、それを超えた「健全なナショナリズム」へと進む可能性もあったのではないか。奈良本...
収録日:2015/02/26
追加日:2015/07/23
中島隆博
東京大学東洋文化研究所長・教授

戦前、井上哲次郎は吉田松陰を「陽明学者」と位置付ける

吉田松陰の思想(上)松陰像の変遷(3)陽明学者・教育家・史論家

吉田松陰とは何なのか。かつて松陰は、維新に向けて人を育てた教育者であると捉えられてきた。しかし、東京大学東洋文化研究所教授・中島隆博氏は、松陰はそういったカテゴリーに収まりきらない思想家ではないかと言う。戦後に...
収録日:2015/02/26
追加日:2015/07/20
中島隆博
東京大学東洋文化研究所長・教授

孝明天皇を盾にした過激な攘夷論がもたらした京都の変化

幕末長州~松下村塾と革命の志士たち(09)長州藩の反幕意識

吉田松陰亡き後、長州に残された弟子たちがその衣鉢を継ぐには、幾つもの障害があった。桜田門外の変の後、いったん「公武合体」論によって融和しようとした幕府と朝廷は、「攘夷」の一点で互いに譲れなかったからだ。政局は二...
収録日:2014/12/24
追加日:2015/03/01
山内昌之
東京大学名誉教授