はじめに

 今年(平成27年〈2015〉)は大東亜戦争(アメリカ側の呼称では太平洋戦争)の終結以来70年ということで、いろいろの話題が出されている。

 私は今年、85歳になる。小学校に入ったときにシナ事変(のちに日華事変、戦後は日中戦争)が始まり、小学5年生のときにアメリカ、イギリスと戦争が始まり、終戦のときは中学3年生であった。つまり私は日本が戦争しているあいだ、ずっとそれを切実な気持ちで眺める立場にあった。「子供に何がわかるか」という意見もあろうが、当時の日本の男の子はすべて軍国少年といってよかった。「そのうち自分も戦場に行くことになるかもしれない」という気持ちで育っていたのである。

 今日の子供たちはサッカーなどに興味があり、自国以外の選手のことにも詳しかったりする。われわれが子供のときの戦争に関する興味や関心は、その十倍、百倍も鋭敏だったと思われる。アメリカやイギリスの軍艦の名前を覚えることや、その大砲の口径などに関する知識でも子供同士で競い合ったものである。何しろすぐ近所の人たちが戦場に行き(シナ事変の頃は帰還した人もいた)、また親類や知人からも、戦死する人が出ていた。いまの子供のサッカーに対する関心とはまるで次元が違うのだ。

 こんな記憶もある。私と次姉が口喧嘩したことがあった。それは私が親から贔屓されているという不満を次姉が主張したことから起こった。すると母が出てきて、こういったのだ。

 「男の子はいつ戦争に行くかわからないものなあ」

 それで次姉は黙ってしまった。

 実際の戦場に、私が出ることはなかった。被爆の経験もないし、外地からの引き揚げの苦労も知らない。学徒勤労動員で土木工事や開墾作業や学校工場などで働かされたにすぎない。戦争中の日本では最も戦争から遠い所にいたことになる。

 ところが逆説的になるが、かえって戦争全般を見渡すときに、それは有利な立場にあったのではないかと思われるのだ。

 こういう考えを持ったのは私だけでない。外交官であった故・岡崎久彦氏も同じような考えを持っておられて、こんな主旨のことを語られたことがある。

「会社が潰れた場合、それについて全体がわかる人は社長とか重役しかいない。係長ぐらいでは状況全体の把握などできるわけがない。日本が敗戦したときも、その全体のことがわかる立場にいた人は、いわゆるA級戦犯といわれたぐらいの人たちだろう。ところが戦後は、破産会社の係長ぐらいの人たちが戦争全体を把握していたかのように語っている。むしろ戦争全般を見渡せる立場にあったのは、昭和5年前後に生まれた(岡崎氏も私も昭和5年生まれ)戦争当時の中学生だったのではないか」と。

これには私も同感するところがあった。何とかというお経の中にある「群盲象ヲ撫ズ」という言葉が思い出されてならなかったからである。これは何人かの盲目の人が象を撫でる話である。象の腹を撫でた人は太鼓のようだといい、牙を撫でた人は角のようなものといい、足を撫でた人は太い柱のようなものだといい・・・といった具合になる。各人が、確実に体験したことだからと主張して譲らない。しかし、それは嘘ではないのだ。
この場合、遠くから象を眺めてスケッチした少年がいたとしたらどうか。少年は象のどこにも触れておらず、スケッチはごくごく簡単な、かつ不正確なものであろう。しかし象の一部に触れた人の話よりも象の実態に近いのではないか。

岡崎氏のいわれた昭和5年前後生まれの少年たちの多くは、戦争のどの分野にも全身を挙げて関わることはなかった。しかし戦争には激しく鋭い関心を持ち続けた。新聞を読み続け、『週報』(昭和11年〈1936〉から終戦の年まで発刊された週刊の政府広報誌)さえ読み続けた者もいた。ラジオも聴けた。戦時中の大本営発表も聞き続けた。

そして戦後は、戦記物や手記物をいろいろ読み続けて、傘寿も超えた。戦後に出た外国のものも読む機会があったし、東京裁判も知り、パル判決書も東條英機大将の宣誓供述書も、マッカーサーの米国上院軍事外交委員会の証言も比較的偏見なく──つまり自分の個人的体験に左右されることが少なく──視野に入れてきたように思う。

たまたま終戦70年ということもあって、現在のエリート官僚を中心とした小グループのために、この前の戦争について語る機会をいただいた。昭和史の通史はいろいろ出ているわけだから、私は通史では扱いにくいが、昭和史の理解のためには必要な事柄を数回にわたって座談的に語ることにした。戦前・戦中の雰囲気を伝えるのに効果的なものに、軍歌や歌謡曲がある。その頃、私や同級生たちがよく歌い、私がいまでも歌うことのできるものを入れたのはそのためである。

 そもそも通史的に昭和史を語ることではなく、私が個人的に昭和史の理解に役立ちそうなことを数回にわたって語ったものが一冊の本になったのは、PHP研究所学芸出版部の川上達史氏の努力のおかげである。そのおかげでできたこの本が、「戦争を知らなかった人たち」の昭和史理解に少しでもお役に立つことができれば幸甚である。


平成27年6月20日

渡部昇一