10MTVオピニオン|有識者による1話10分のオンライン講義
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中選挙区制だった時代、日本に良き草の根民主主義があった

衆院選後の安倍政権を読む~「14年体制」誕生の可能性と課題(2)一党体制「55年体制」との大きな差異

ジェラルド・カーティス
政治学者/コロンビア大学名誉教授
情報・テキスト
『代議士の誕生―日本式選挙運動の研究』
(ジェラルド・カーティス著、山岡清二翻訳、サイマル出版会)
 
長年日本の民主主義を愛し見守ってきたジェラルド・カーティス氏が、瀕死の日本民主主義に説く処方箋。55年体制に学ぶべきこと、野党・マスコミがなすべきこと、すなわち、国民と政治家が取り戻すべき「民主主義」の本来とは。(後編)
時間:19:33
収録日:2014/12/18
追加日:2014/12/31
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≪全文≫

●55年体制当時の自民党は、生き生きとして強かった


 自民党が勝って、野党は全く駄目で、当分、自民党が割れない限り、今の自民党政権が倒れて野党がまた政権を取るということは、非常に考えにくいです。一党支配がかなり長く続くと思います。一党支配といえば、やはり1955年につくられた自民党と社会党の体制、その後38年間にわたる自民党一党支配の歴史です。これを「55年体制」といいますが、今その55年体制に戻っていると、最近言われます。小沢一郎さんも、昨日そんなことを言いましたし、政治評論家や学者にも、そう言う人が結構います。

 しかし僕は、55年体制に戻っているのではないと思います。これは下手をしたら、新しい「2014年」の体制が生まれた可能性がある。僕は最近、そのように考えています。

 これは、数年を経てみないと分かりません。55年体制もそうでした。最初に「55年体制」という言葉が使われた時は、自民党と社会党の二大政党制を意味する「55年体制」でした。あの頃は、社会党の議席が少しずつ増えていました。そして、あれは確か石田博英さんが1960年頃に中央公論に有名な論文を書いたのです。彼が言ったのは、いろいろな統計を出して、「このままでいけば1968年か9年頃に社会党は政権をとる」ということでした。それが55年体制です。しかし、10年、20年経ってから、「いや、55年体制というのは一党支配の体制だったのだ」と言われるようになりました。

 「2014年体制」が55年体制と似ているのは、一党支配という点です。しかし、それ以外は全然違います。一つ目の違いは、55年体制は、自民党の中に対立構造がありました。競争しあう、緊張感のある構造的なものがあったのです。いくつかの派閥が主流派を組み、他の派閥が反主流を組んで、その中には非主流派もいて、政権が行き詰まると党内で政権交代のようなことが起こり、たえず緊張感がある。平気で自党の総理大臣を批判したり、政策論争もしたり、パワーポリティクスもしたりという、それが自民党でした。それはもう、生き生きしていました。

 二つ目の違いは、官邸に対して、党が強かったことです。議会に法案を出す前に、総務会が承認しないと出せませんでした。党が非常に強くて、党と官邸の緊張感がある。それが55年体制の一つの特徴でした。

 今の自民党を見ていると、派閥もないでしょう。あったとしても言葉だけで、本当の派閥はないし、対立構造は何もありません。そして、党が官邸よりも強いのではなく、全く逆なことになってしまって、圧倒的な力は官邸にある。党の人たちは、官邸に対して批判的なことをなかなか言えない。


●日本政治の長所「草の根民主主義」の政治家がいなくなった


 55年体制の特徴には、自民党のリーダーになるための訓練をする構造もありました。まず選挙で勝って、1年生議員が派閥に入る。派閥の親分が若い人たちをずっと見ていて、誰が本当に優秀で将来性があるかを見て、有望な人をまず政務官にしたり、あるいは調査会の部会長の仕事をさせたりして、だんだん上へ行く。そして大臣になり、党の三役になりと、総理大臣になる前に、いろいろな国の政府のことも、党のことも、全部一通り経験し、そして派閥という組織も運営する。こうした全部の条件がそろって初めて総理大臣になれる資格が得られる。そういう仕組みでした。

 しかし、今はそのシステムが全く崩れてしまって、大臣も何も経験したことのない人がいきなり上に行きます。...
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