松下政経塾 副塾長
イマジニア株式会社 代表取締役会長 兼 CEO
神藏孝之
いま、常識さえもどんどん覆される時代である。情報量が激増する「知識の爆発」の時代に、どうすれば正しい判断ができるのか。私は、いまこそ必要なものは「知的耳学問」だと考えている。
そのことを教えてくれた一人が、元財務事務次官の香川俊介さんだった。香川さんとは20代の頃に出会い、私の人生の中で最も時間をともにした友人になった。香川さんについて多くの方々が抱くイメージは、その類まれなる人間力で膨大な人脈地図を築き上げて、大いなる功績を残したことであろう。だが、彼を近くで見ていた私からすると、その人間力の秘密は、香川さん独特のみごとな「知的耳学問」にあったように思えてならない。
彼が、膨大な方々に会いに行っていたのは、その分野についていちばん詳しい人に話を聞けば、そのテーマの核心を短時間でつかめることを体験的に知っていたからだった。たとえば、東日本大震災による原発事故のあとには、元東大総長の小宮山宏先生に何度も会いに行って、エネルギー問題の本質について学んでおられた。また、医療費問題を考えるときには、主治医の一人でもあった順天堂大学の堀江重郎先生に現場の実態を詳しくヒアリングされていた。香川さんは、まさに「耳が利く人」だった。その真摯な姿は、崇高でさえあった。
耳学問といえば、松下幸之助もまた、その道の達人だった。毎日、多忙をきわめ、人に会える時間も限られていたので、部下に様々なことをテープレコーダーに吹き込んでもらい、車内や寝室などで聞いていたのだ。
私は松下政経塾の2期生として、晩年の松下幸之助に直接薫陶を受けたが、松下幸之助の「耳巧者」ぶりを見聞きすることが数多くあった。たとえば大学で政治学を学んできた人に対しては、「君、政治学というのは、ひと言でいったら何や。学問がない自分にもわかるように教えてくれないか」と聞く。本当にわかっていなければ、「ひと言」で答えられるはずがない。これはまさに、究極の質問だった。
香川さんや松下幸之助には及びもつかないが、私もひそみに倣って、多くの方々にお会いし、メモを取ってまとめるようにしてきた。けれども、あまりに膨大な数になってきたため、香川さんほどの抜群の記憶力がない私は難儀することも多くなった。
だが、デジタル技術の発達で、多くの情報をサーバーに手軽に上げておけるようになった。ならば、碩学の話を動画に撮影し、それをサーバーに蓄積して、スマホやPCで視聴できるようにすればいいのではないか。そう考えて、デジタルメディア「テンミニッツTVオピニオン」を立ち上げた。正直に告白すれば、半ば自分自身のためでもあった。きっと自分と同じような人が100人に1人くらいはいるだろうし、そういう方々には大いに喜んでもらえるはずだと考えたのだ。
たとえば、東洋思想研究家・田口佳史先生の『貞観政要』の講義も収録させていただいた。唐の太宗は自分に諫言してくれる側近を置いており、その側近たちは太宗にリーダーのあり方を示すため、漢籍や歴史を引用し、わかりやすく説いていた。その太宗の貴重な耳学問を記録した対話篇が『貞観政要』である。だからこそ、日々の行動に中国古典をいかに活かせばいいのかを教えてくれる恰好の一冊なのだ。この書も、田口先生の講義を聞き、それから読み込むと、理解度が格段に深くなった。「武器としてのリベラルアーツ」ということの意味を、肌で実感する機会となった。
なにより、碩学に聞くことは、実に楽しい。解答なき時代に、多くの分野をスピード感をもって学ぶために、ぜひ、「知的耳学問」を多くの人に勧めたいと考えている。
・出典:財務省広報誌「ファイナンス」令和元年6月号「巻頭言」
・財務省広報誌「ファイナンス」令和元年6月号「巻頭言」に寄稿