神藏孝之

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[ラウンジ]神蔵孝之さん 2011/07/09 東京読売新聞 夕刊

2011/07/09 東京読売新聞 夕刊 2ページ

◇神蔵孝之さん
   ◆「人間大事」の思いで復興
   「東北に先駆的地域を作り、復興を果たしたい。海外からも注目される目玉政策を一つでいいから、早く作り出すのが大事だ」

 宮城県震災復興会議の委員、情報・通信会社イマジニアの神蔵(かみくら)孝之会長(55)はそう考える。
 政治家志望で松下政経塾(2期生)に入ったが、経営の道に転じ、ベンチャーを上場企業に育てた。今は同塾理事を務め、多くの塾出身者が頼る。県復興会議委員も、同塾13期生の村井嘉浩知事が依頼した。本業の合間に足を運ぶ被災地では、将来の生活に不安を持つ人が多いと感じ、法人税減税特区など雇用につながる政策を提案する。

 震災後、同塾創設者の松下幸之助氏から受けた「人間大事」の教示を思い出すことが増えた。「『理』の後に必ず『情』が添えられる。一人一人の人間を大事に思う考え方がこういう時だからこそ必要だと思う」からで、「人間大事」の思いで、東京と東北を往復する日々だ。(文・望月公一、写真・清水敏明)

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[解]ヤタガラスはいずこ 2013/02/26 東京読売新聞 朝刊

政治部次長・望月公一
2013/02/26 東京読売新聞 朝刊 13ページ

 八咫烏(やたがらす)は古事記などの建国神話に神の使いとして登場する鳥である。神武天皇東征の際、熊野(和歌山県)から大和(奈良県)への道案内を務め、熊野三山の神紋とされている。道案内した熊野の豪族に与えられた称号という説もある。

 熊野三山の一つ「熊野速玉大社」の摂社「神倉神社」をルーツとし、八咫烏を家紋に持つIT企業経営者が、昨年夏の消費増税政局で、野田首相(当時)の先導役として永田町を飛び回っていた。松下政経塾2期生の神蔵孝之氏で、1期生の野田氏とは20年以上の付き合い。毎日のように連絡を取り、自民党などとの調整に動いた。

 神蔵氏によると、昨年8月、自民党の谷垣禎一総裁(当時)と「近いうち」の衆院解散で合意した時、野田氏は通常国会会期末の9月解散を決意していた。しかし、「国民の生活が第一」の小沢一郎元民主党代表らが主導して消費増税反対などを理由に提出した首相問責決議案に自民党も同調し、参院で可決したため、野田氏も解散を見送ってしまったという。

 「問責決議で流れが変わってしまった」と悔やむ神蔵氏。12月の衆院選で野田氏率いる民主党は惨敗。自民党は圧勝し、新党「日本維新の会」も議席を伸ばした。9月に解散・総選挙だったなら、もう少し違った結果に、という思いがある。

 八咫烏は太陽の化身とされる。民主党は24日、党大会で党綱領や衆院選総括を決定したが、党内には「抵抗野党」化を望む声も多い。党再生の道筋は堂々と現実的な路線を歩む中でしか照らし出されないだろう。

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[読み解く]2参謀と香川氏の「殉職」 2015/08/27 東京読売新聞 朝刊

編集委員 望月公一
2015/08/27 東京読売新聞 朝刊 11ページ

 前財務次官の香川俊介氏が58歳で亡くなったのは退任からわずか1か月後の今月9日だった。がんと闘い、直前まで車いすで職務を続けた姿を「殉職」とする声は多い。歴史学者の山内昌之明治大特任教授は「香川俊介氏を哭(こく)す」と題した追悼文で、職務に殉じた明治の軍人2人を思い浮かべたと記した。一人は薩摩出身の川上操六。陸軍参謀として日清戦争の作戦を立て、次に対露戦準備に取り組んでいた1899年(明治32年)、50歳で死去した。その後を継いだのが山梨出身の田村怡与造(いよぞう)。甲州の名将武田信玄にちなんで「今信玄」と呼ばれ、対露戦を研究したが、日露戦争開戦前年の1903年(明治36年)、48歳で死去。いずれも国が滅ぶかもという緊張感と激務で病に倒れた。

 職務に殉じた香川氏の姿を覚えている一人が、松下政経塾出身の神蔵孝之氏だ。神蔵氏は2012年、同窓の野田首相(当時)のブレーンとして消費税率引き上げ決定に関わった。香川氏は「総理はあきらめてないか」と神蔵氏に毎晩電話で確認しながら関係者を説得していた。「『国家財政が破綻したら』という危機感で、本当に国のためにやっていた」と振り返る。

 山内氏は、歴史を動かす準備をしながら、大業を果たす前に忽然(こつぜん)と世を去ったと、香川氏の死を悼む。香川氏の遺志が受け継がれ、財政再建が進められることを祈りたい。

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[五郎ワールド]「吏道」を求め続けた一生 2017/01/14 東京読売新聞 朝刊

特別編集委員 橋本五郎
2017/01/14 東京読売新聞 朝刊 11ページ

拝啓 香川俊介様

 あなたがお亡くなりになって1年半になろうとしています。昨年12月には財務官僚・香川俊介追悼文集『正義とユーモア』が出版されました。

 心のこもった追悼集はその人のすべてを照らすものだとつくづく思いました。官房長官の菅義偉さんはこんなエピソードを明らかにしています。

 香川さんが財務次官として消費税の10%再増税に向けて動いていると聞いた菅さんは、あなたを首相官邸に呼んで、静かに諭したといいます。「消費税の引き上げはしない。おまえが引き上げで動くと政局になるから困る。あきらめてくれ」

 香川さんはこう答えたそうですね。「長官、決まったことには必ず従います。これまでもそうしてきました。ですが、決まるまではやらせてください」

 あなたの人となりを示す、面目躍如たる逸話です。

 香川さんは、千葉大学教育学部付属中学校から東京の私立開成高校に入り、東大法学部を卒業、財務省では官房長、主計局長、次官とエリートコースを歩みました。

 2012年8月の「社会保障と税の一体改革」に関する3党合意は、官房長としての香川さんの下支えなしにはありえなかったといわれています。その関連法が成立した直後に入院、その後復帰しましたが、次官時代に癌(がん)再発がわかり、最後は車椅子で使命を全うしました。

 それにしても、人脈の広さ、深さがこれほどまでとは思ってもみませんでした。財務官僚として身を削るように仕事に打ち込みながら、友とグルメを求め、一緒に旅したことが追悼集に満載されています。


 追悼文集発行委員会の代表で30年来の親友である神蔵孝之さん(イマジニア株式会社会長)がそんな香川さんについて語っておられます。

 「彼の凄(すご)いところは、政治家たちに一人で突撃していって主張すべきを主張するのに、持ち前の愛嬌(あいきょう)と誠実さで、敵にならないどころか仲良くなってしまうところでした」

 「彼は『詭道(きどう)』的な手法を取りませんでした。いつも、まっすぐに、なおかつユーモアを忘れずに仕事に、相手に、ぶつかっていきました。しかも、それは常に正義感、『公の心』に裏打ちされていました」

 政治家に対する人脈の濃さは追悼文を寄せた顔ぶれをみても一目瞭然です。麻生太郎、太田昭宏、小沢一郎、小渕優子、古賀誠、菅義偉、園田博之、二階俊博、野田佳彦。それは与野党や主義主張を超えています。

 現財務省官房長の岡本薫明さんの文章は限りなく胸を打ちます。香川さんが3年間も過ごされた財務省2階の官房長室にはあなたが好きだった観葉植物も机もソファもその時のまま残っているそうです。そして、こう漏らされているのです。

 「病を告げられた後もこの部屋で一人で苦しい思いをされていたのだと思う。人の出入りの少ない部屋に一人でいる時、この同じ光景を香川さんも眺めていたことを思うと胸がつまる」


 香川さん、あなたのお母さんは「母の鑑(かがみ)」です。あなたが亡くなる8か月前に他界されましたが、お母さんの周りの人たちは、あなたが東京で役人をしていることは知っていても、財務省の次官だったことは知らなかったそうですね。神蔵さんは書いています。

 「お母様にとって香川さんは自慢の息子だったに違いありませんが、そのことを周りにことさらに吹聴することはなかったのです」

 香川さんを思う時、「吏道(りどう)」という言葉が浮かんできます。警察官僚から政治家になり、中曽根内閣の官房長官を務めた後藤田正晴さんは、『政と官』(講談社)の中で、役人が一つの政策に固執する「思い上がり」を厳しく戒めています。

 「役人は政治に対して政策を押しつけてはならない。政策立案に必要な資料を揃(そろ)え、それらの資料を分析し、政策案を策定する。一つの政策に固執するのは越権行為である。決定するのは政治家である」

 その通りだと思います。その一方で、役所に限らずどんな世界でも、いざというときに上司やトップに「諫言(かんげん)」できなければ、その組織はだめになるのではないのか。そのことでたとえにらまれようとも、恐れてはいけないのではないのか。

 香川さん、あなたは「諫言」できる「吏道」という道を歩んできたように思われるのです。

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(窓・論説委員室から)前首相側近の嘆き 2013/01/17 朝日新聞 夕刊

2013/01/17 朝日新聞 夕刊 2ページ

拝啓 香川俊介様

 総選挙の民主党惨敗で退陣した野田佳彦前首相の側近として、政界を走り回った人物がいる。

 神蔵孝之氏(56)。松下政経塾の2期生で、野田氏の1期後輩。20年以上の付き合いだ。東京でIT企業を経営しながら、野田氏の助言役を務めてきた。

 野田政権にとって最大の難所だった消費増税をめぐる与野党折衝の時は、民主、自民両党の話し合いや首相官邸と財務省との調整に、裏方として汗をかいた。

 「野田さんには、このままの財政では日本が破綻(はたん)してしまうという危機感が強かったが、国民に伝えきれなかった」と振り返る。

 野田氏の誤算は何だったのか。

 「昨年8月、自民党の谷垣禎一総裁と『近いうち解散』で合意した段階で、野田さんは9月解散を決意していた。選挙の結果、谷垣氏が首相になっても構わないと覚悟していた。ところが、参院で首相問責決議が可決され、話し合い解散の空気が吹っ飛んでしまった。自民党で谷垣おろしが進み、民主党内でも解散先送り論が強まった」

 政治に「もし」は禁物だが、仮に9月解散なら、民主、自民、そして日本維新の会などの獲得議席はどうだったか。新政権の政策はどうなっていたか――。いろいろな思いを巡らせたくなる。
 〈星浩〉

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(政治断簡)首相の「胆力」見せてほしい 編集委員・佐藤武嗣 2019/03/25 朝日新聞 朝刊

2019/03/25 朝日新聞 朝刊 4ページ

どう振る舞うべきか。日本を取り巻く外交・安全保障環境をみると、極めて困難な事態に直面していると最近、ひしひしと感じている。

 そんな中で興味深い話を聞いた。「逆境の克服とリーダーの胆力」と題する講演で、松下政経塾副理事長の神蔵孝之・イマジニア会長が「中国が強大な力を誇り、朝鮮半島が政治的に揺らぐ時期は、日本の歴史の変わり目となってきた」と指摘している。

 権勢を振るった唐の時代、朝鮮半島は百済や高句麗が滅亡するなど混乱した。それに動じず、「日本は法治国家だ」と国内外に宣言する大宝律令制定に尽力し、平城京への遷都を成し遂げ、「倭」から「日本」への転換を図る戦略を着々と練り上げた藤原不比等に注目すべきだというのだ。

 神蔵氏は財政にも言及する。第2次世界大戦で、日本の政府債務残高はGDP(国内総生産)比200%超に跳ね上がった。現在の日本の財政事情はこれをしのぎ、約240%。「1千兆円ほどの国債という幻の果実の下にいながら、私たちに緊張感がない」と警鐘を鳴らした。


 藤原不比等の時代と同様、中国は経済的にも軍事的にも台頭した。朝鮮半島は北朝鮮の核・ミサイル問題や日韓関係の悪化などで揺れている。さらに、唯一の同盟国として頼ってきた米国は「リベラルな国際秩序形成」を放棄し、米国第一主義にひた走る。

 トランプ大統領は、対日貿易が「不平等」だと、来月の日米貿易交渉に手ぐすねを引く。次の駐留米軍経費負担の協議をめぐり、大幅増額を水面下で日本に要求している。

 ある外務省幹部は誇張を交えて、日本の今後の選択肢を四つ挙げた。(1)米国に徹底的にこびへつらう(2)中国との関係を重視して尖閣諸島などを手放す(3)防衛費を5倍にする(4)核兵器を保有する――。米国の要求を丸のみし、防衛費の大幅増に踏み切れば、債務はさらに膨らむ。かといって尖閣の放棄や核保有も政治的に極めて困難だ。

 省庁の縦割りを解消し、日本の総合的な外交・安保戦略を練るため、2014年に創設したのが、国家安全保障局(NSS)。だが、最近は対ロシア政策で安倍晋三首相とNSS幹部が対立し、不仲説も漏れる。政府関係者は「経済産業省出身の官邸官僚と外務省との相互不信が深刻だ」と明かす。

 自民党内から「安倍4選」の声も出始めた。同党議員は「トランプが来年の大統領選で再選されれば、『彼とゴルフできるのは安倍しかいない』と訴えられる」となんとも悠長に語る。

 相手の顔色を窺(うかが)い、F35戦闘機の大量購入で対米関係を一時しのぎし、理不尽と思っても物も言えないのが「したたかな外交」なのか。それは「接待ゴルフ」に過ぎない。

 米中は安保と経済を絡めた外交を展開する。日本外交のかじ取りが難しい今、政府内の主導権争いにかまける余裕は日本にない。首相には複眼的な戦略を主導する「胆力」をぜひとも見せてほしい。


 「政治断簡」は今回で終わります。ご愛読いただき、ありがとうございました。

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