●イエメンの混沌が大変な勢いで続いている
皆さん、こんにちは。
本日は、アラブの内戦、あるいは代理戦争という問題について話を進めていこうと思いますが、今の中東で起きている内戦は、基本的に代理戦争のような側面を持っています。そうした点を踏まえて、日本ではほとんど語られていないイエメンのケースについて考えてみたいと思います。
イエメンにおいては、政治的、社会的な混沌(カオス)が大変すさまじい勢いで続いています。この問題は、基本的に国の中核を担っているエリートたちがあくまでも権力に執着しようとして、むしろ社会的に混沌が続くことを是とし、恒常化しようとする意識が働いていることと無縁ではありません。
イエメン国内で対立する諸派の間の内戦、さらにサウジアラビアの空爆、またホーシーというシーア派の一部、すなわちザイド派と呼ばれるシーア派の集団に対するイランの援助など、いずれにおきましても、グローバリゼーションの世界で、イエメンがカオスになっている事実はありながら、私たちや国際世論がそれを無視することの難しさを教えてくれます。
●狡猾国家の体質が染み込んでいるイエメン
かつて2005年3月に、国連本部で当時の事務総長コフィー・アナン氏は、「破綻国家を無視することは、いつかわれわれを刺し殺すために問題をつくって戻ってくるということだ」と述べたことがありました。こうした発言を踏まえて、イエメンのカオスを無視することは、われわれを刺し殺すために問題をつくって戻ってきた結果、かえって厄介な中東情勢をつくることになるのではないかという危惧を抱かせるわけです。
これを説明するために、ヨーロッパのある社会学者は、“Cunning State”という言葉を使ったことがあります。この“Cunning State”は、訳がなかなか難しいのですが、狡猾国家、あるいは陰険国家、少し良い意味で老練国家とも訳せるかもしれませんが、いずれにしても収まりがよくありません。内容的にいうと、ある国の市民、あるいは外の国際機構の双方から、その国の統治者や政治家たちが、自分たちに責任が及ばないように、弱さをちゃっかりと、こずるく、まさにCunningで利用する国家、これが“Cunning State”だというのです。
イエメンは、1994年の内戦が終結して以降、この“Cunning State”、狡猾国家としての体質が染み込んでいるという見方をする学者も居ます。つまり、国のイメージとして、弱さや不安定さ、脆弱さは本来恥となり誰もが喜ばないはずですが、開き直ってむしろ弱さや不安定さをイメージとして逆に利用するということです。すなわち、この狡猾さは、社会、政治の中核になっているエリートたちが、部族、あるいは地域や宗派に基づくアイデンティティーで積極的に活用しようとしているのです。
そして、今の中東における国家の区分や境界がはっきりしなくなってきている、あるいは、国際構造に境界や亀裂が目立ってきている中、こうしたことを活用しながら、国際的な共同体や市民の不安に乗じることが、イエメンに代表される狡猾国家の特徴だというのです。
●イエメンはエリートが社会の亀裂を利用
イエメンの場合、三つの特徴があると考えることもできます。一つは、イエメンは、社会の亀裂、ひび割れをしっかりと利用するエリートたちが経営している国家だということです。
1978年以来、北イエメンを支配し、1994年の内戦終結後にイエメン共和国を支配してきたのが、2011年に倒れたアリー・アブドッラー・サーレハ大統領によって統治された体制でした。その体制の特徴は、自分の宗派や部族の枠内において、緊密なネットワークによる支援や忠誠心に依存することです。それは、社会内部の宗派や部族、地域の区分に基づいて機能することであり、国のある種の民族的、あるいはエスニックな区分や分割を多彩に利用することになります。つまり、あるときにはAという集団、あるいはAという人物が、別のときにはBという集団、あるいはBという人物が犠牲となりながら、絶えずそうした関係が変動し、そして、その関係を利用し合ったり、あるいは排除したりするような政治が相互作用を起こした場合に、狡猾国家が一つの姿を現すわけです。
もう少し分かりやすくいうと、イエメンは、生存の政治(サバイバルの政治)ともいうべき現象に常に関与してきた国家だということです。生存(サバイバル)とは、自分の権力の保持のためであれば必要なことは何でもする、必要とあれば手段を選ばず何にでも頼るということで、イエメンの政治が、あたかも流砂によって砂丘や砂漠の形が変わっていくように、そういう中で弾力的に生きていくことを意味するわけです。
そこには、二つの戦略があり...
初代イエメン大統領