神藏孝之

激変する状況の中で 1. 私とイマジニア 2. 松下幸之助塾主に学んだこと

講演『米国史から日本が学ぶべきもの』
~中国を新たな標的としたアメリカ帝国主義時代の始まり~

中国を新たな標的としたアメリカ帝国主義時代の始まり

 1800年代は、南北戦争で一回大混乱しますが、南北戦争以前のアメリカと、それ以降のアメリカは全く別の国です。1897年にマッキンリーが出るまでの間に、アメリカは別の国になります。全く違う南部と北部が一つの国になっていきます。

 国力で見ると、工業生産では1894年にすでに世界一になっています。また、人口が一番分かりやすい。1860年にペリーが日本にやってきた頃のアメリカの人口は3100万人です。江戸時代の日本の人口は3000万人くらいなので、あまり変わりません。ところが、(アメリカは)工業化で一位になることによって、1900年には7600万人まで人口が増えます。ヨーロッパ、東欧、中国など、いろいろなところから移民が集まって、人口が一気に2.5倍弱ほどになっていきます。その結果として、今のマンハッタンの原型ができました。

 財閥に関しては、モルガン財閥、スタンダードオイル、カーネギー、そしてフォードができます。この時にアメリカの最初の財閥の原型ができたのです。ある種、GAFAが誕生してくるときに結構似ているかもしれません。

 ちなみに日本は、徳川家康が関ヶ原で勝って初めて、東日本と西日本が徳川幕府のもとで一つになっていきます。(一方、アメリカは)それをさらにスピードアップして強烈にすると、南北戦争後の40年間になります。ここでは別の国になっていて、これが二回目の大きい変容です。

 これは、南北戦争前のプランテーションの様子と、この時代のことを書いた黒人奴隷のアンクルトムの物語です。南北戦争後のセントラルパシフィック鉄道によって大陸横断鉄道が3つでき、スタンダードオイルができ、マンハッタンの写真にあるようなビルが出来上がってきます。そして、フォードの工場はあっという間に1000万台ほどつくってしまいます。マンハッタンの橋にはアメリカの原型が見えます。

 原敬はなぜ私費で周遊したかったのでしょうか。自分(個人)の金で2億円ものお金を使って、半年間見に行ったのでしょうか。彼は、フォードの工場やマンハッタンの建設風景、そしてGEのラインを見たかったのです。その国の政治家に会いたかったわけではありません。大使館経由でいくと、お仕着せの政治家連中(との面会)の日程をどんどん組まれますが、彼にとってはそんなことはどうでもよかったのです。

 今のアメリカを動かしている原理、アメリカの強さとは一体何なのかを見るために、自分で(周遊の)工程を組みたかったので、私費で行きます。これが原敬の慧眼です。原敬はフランスで代理公使をやっていたので、フランス語は自由にしゃべれました。英語は、読むことしかできなかったですが、英字新聞は読めました。ここがすごいところだと思います。

 ちなみに、岩倉使節団がアメリカを見に行った1871年は、まだアメリカが南北戦争の混乱の中で、政体もしっかりしておらず、アメリカの中で見るべきものがあまりありませんでした。原敬が注目して、自分で見て調べたかったアメリカは、これから世界の最有力候補になるアメリカでした。

 この時代のインフラの要になったのは、1869年のユニオンセントラルのパシフィック鉄道です。これは、サンフランシスコからシカゴをつなぎます。それから、サザン=パシフィック鉄道が1883年にニューオリンズからロサンゼルスをつなぎます。さらに、1885年にサンタフェ鉄道がセントルイスからロサンゼルスをつなぎます。このインフラができることによって、本格的にアメリカが一つの国になっていきます。

 最初にアパラチアとロッキー山脈の絵を出しました。次に、どうやってアメリカが北米大陸を全部乗っ取ったのかという絵を出しました。それに続いて今回、アメリカがどうやって統一したのかを示す、そのときのインフラの絵です。

 これでアメリカは国内で世界最大の工業国になりますが、その次のフロンティアをカルフォルニアではなく中国に求めます。中国に求めるときに、主要な役割を果たした有名な大統領が、ウィリアム・マッキンリー、セオドア・ルーズベルト、ウッドロウ・ウィルソンです。

 この中で見ていかないといけないこととして、まずマッキンリーはハワイの王朝をつぶして併合してしまいます。それから、スペインに戦争を仕掛けて、フィリピンとプエルトリコを取ってしまいます。さらに、パナマ運河も取り、この頃キューバも保護国にしてしまいます。その後、ウィルソンの時には、ハイチ、ドミニカとどんどん取っていってしまいます。

 ルーズベルトは日本では親日的な大統領ということになっていますが、日本の台頭を防いだ大統領ともいえます。

 ウィルソンは国際連盟をつくったプリンストン大学総長です。インテリで立派な人だといいますが、彼はメンバーではなかったものの、「KKK」という白人至上主義者の右翼の圧倒的な支持がありました。ちなみに彼の名前を取った「ウィルソンスクール」というプリンストンの中にあるスクールの名前はもう無くなってしまっています。

 気をつけないといけないのは、歴代大統領に親日的大統領はいなかったことです。この部分は気をつけてみておかないと見間違ってしまいます。次の狙いは中国だと出て行ったときに影響を与えたのがアルフレッド・セイヤー・マハンのシーパワー理論ですが、そのシーパワー理論はルーズベルトが書いたともいわれています。ここで一つ大きな流れが変わってきます。

 原敬が見た時代のアメリカは、1908年~1909年のアメリカです。岩倉使節団が見た時代のアメリカとは全く違う国になっていたのです。

 絵で見ると、アメリカが帝国主義だった時代が本当によく分かります。ハワイ、フィリピンを取り、キューバ、ハイチ、ドミニカ、パナマと、どんどん拡張していきます。この流れの中には、ペリーが日本に来たり、南北戦争があったりしました。

 アメリカは、工業化で圧倒的に成功して国内にフロンティアがなくなった瞬間、中国に目を向けます。ここからアメリカの帝国主義の時代が始まるという流れです。ここでもまた違うアメリカの顔が出てくるのです。