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宗教的理念に基づく「正しさ」は世俗世界と大きく異なる

正しさの根拠

曽根泰教
慶應義塾大学大学院教授(政策・メディア研究科)
情報・テキスト
十字軍のエルサレム攻略
政治学者・曽根泰教氏によれば、私たちは「正しさの根拠」をごく表層的なところに置いているのだそうだ。つまり、教科書や新聞に書いてあることを「正しい」と信じてしまう。事が宗教に及ぶと問題の根はさらに深くなる。正しさを手にするために人類はどのような努力をしてきたか、そして今、われわれは何をもって正しさに向かうべきなのか。曽根氏が「正しさの根拠」について論じる。
時間:11:48
収録日:2015/03/10
追加日:2015/04/15
≪全文≫

●正しさの根拠は学校で習ったことに根差している


 今日は、正しさの根拠というお話をします。以前、「知識の3類型」ということで、科学者は真か偽かということを議論する、それが科学の基本だ、ということをお話ししました。ただ、真か偽かということをもって正しさの根拠にしている人は、ほとんどいないと思うのです。もっと表層的なところで判断しています。例えば、自分が教科書で習ってきたことが根拠になっていたり、新聞に書いてあることが正しさの根拠だったりするのです。

 これは何を言っているのかというと、一つは、大学とは何かということです。大学では、高校時代まで習ってきたことが、ひょっとしたら正しいとは言い切れない、と疑ってかかるところから教育が始まるということもあります。

 もう一つは、国と国との関係、あるいは、韓国や中国との歴史認識を考えた場合、「お前の考えていることは正しくない、歴史を素直に見つめろ」というときの正しさの根拠とは、恐らく韓国や中国の人が習ってきたことに照らし合わせて、日本人の言っていることが正しくない、と言っているのだろうと思うのです。

 ですから、その場合の「正しいか、正しくないか」とは、例えば、慰安婦にしろ南京虐殺にしろ、そこで何人殺された人がいるのかという資料を事細かに調べるような、事実をもって論じる歴史学者同士の論争ではなく、自分が知っていることや学校で習ってきたこと比べると違うことを言っているので、この人の言っていることは正しくない、というレベルなのです。


●教科書に書いてあるから「正しい」と思いがち


 これが実は大変厄介なことなのです。日本でもそうだと思いますが、中学や高校で習ったことに関しては、多くの人が普通は正しいと考えるし、それが事実だと思うのです。ただ、いくつか経験があります。自分の考えていることや習ってきたことに関して一つの事例を挙げると、例えば日本からイタリアに留学した人は、「あ、われわれが習ってきた世界史というのは、イギリス中心なんだよね」といったことを、よく言うのです。そして、「イタリアの歴史は違うぞ。同じ世界史でも、違う見方をすると違ってくるぞ」と思うのです。ですから、日本で習う世界史とは、イギリス中心というよりも、「西欧」の「欧」のどこにウエイトがあるかということになるわけです。

 あるいは、具体的な事実で言えば、個別問題で私の昔の経験ですが、アメリカのある大学で研究発表があって、それを聞いていた時のことです。アメリカ人ですが、日本のポジションが空いて応募してきた人たちですから、皆、優秀な人です。その人が発表途中で、「ABCD包囲網」と言ったのです。そうしたら、それを聞いていた年配の非常に辛辣な教授が、「おい、ちょっと待て。ABCD包囲網と言うけれど、AとB、BとC、Dの間にちゃんとした関係はあるのか。事実をもって証明してみろ」と言われたのです。そこで、彼は答えられなくなってしまったのです。つまり、今の教科書でも、簡単にABCD包囲網と書いてありますが、それは日本人が持っていたイメージとしてのABCDであって、事実としてAとBの間に、あるいはBとCやCとDとの間に、対日に対してそういう包囲網という形の作戦があったのかどうか、という点を、その教授は問いただしたのです。


●「教科書、新聞、偉い人」が正しいとは限らない


 これを、われわれは気をつけなければならないのです。つまり、試験で書いてマルをつけてもらったから、これは事実だと思い込んでいることが、たくさんあるのです。そういう意味で言いますと、正しさの根拠は、真か偽かというよりも、教科書に書いてあるとか、新聞に書いてあるということで決まってしまっているのです。週刊誌は疑うかもしれないけれども、新聞に書いてあるのだから事実だろうと思ってしまいがちですが、新聞に書いてあれば事実なのかどうかというのも、本当は怪しいのです。例えば、新聞は「STAP細胞はある」と報道しました。ですが、1年経ってみると、その存在はまだ証明されていないということが分かりました。

 また、われわれは、正しさの根拠を、偉い人が言っているからそれは正しいのだ、ということに置きがちですが、この「偉い人」とは誰のことなのでしょうか。ある意味で、偉い人とはその分野で過去に業績を出した人なのかもしれませんが、ノーベル賞をとったからといって、例えば、物理学賞をとった人が、経済問題や政治問題などに物理学と同じレベルで正しいかどうか、議論ができるかというと、それは疑わしいのです。


●実証性より信じることで正しさは成立しがち


 こうして、「正しさ」ということを考えてみると、週刊誌的な正しさと新聞との違いというのは多分、「新聞は裏を取ってある」という点でしょう。そ...
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