和睦・同盟交渉において重要な「取次」という外交官の役割
戦国大名の外交、その舞台裏(3)「取次」という外交官
大名間での和睦や同盟交渉の際に重要な役割を担うのが、双方の家臣から選ばれる「取次」である。取次は大名の意向を正確に相手に伝えるだけでなく、その意向が家臣団の支持を得ているということを適切に伝えることが求められた...
収録日:2019/06/13
追加日:2020/01/28
同盟の成立と破壊…北条・今川・武田三国同盟の構造とは
戦国大名の外交、その舞台裏(2)戦国大名の同盟
大名同士が和睦や同盟を結ぶ際、そこではどのような前提があったのだろうか。武田・今川・北条の事例によれば、対立構造は主として大名の面目が潰されることによって引き起こされていたという。一方、大名間での仲介の役割を果...
収録日:2019/06/13
追加日:2020/01/21
武田と上杉の取次が行っていた外交上の巧妙な駆け引き
戦国大名の外交、その舞台裏(6)取次の働き:後編
取次になるということが一つの利権になっていたことで、大名の意向とは離れて勝手に外交を進めてしまうケースがあった。しかしそこでも、取次の体面を守る為、大名がそうした外交成果を追認することもあった。こうして取次は、...
収録日:2019/06/13
追加日:2020/02/12
「起請文」とは高度な外交交渉の成果である
戦国大名の外交、その舞台裏(4)同盟の条件
実際に大名間で同盟を成立させるためには「起請文」と呼ばれる誓約書を交換する必要がある。この文書は外交文書と同様、相手方と文案を調整しながら、合意を成立させていくものである。その際に最も困難な交渉が領土協定であっ...
収録日:2019/06/13
追加日:2020/01/28
兵の動員、鎧や具足、馬…戦国時代の合戦準備の実状とは
戦国大名の外交、その舞台裏(8)同盟の破棄と開戦:後編
大名同士の領地争いの際、国衆はしばしば両方の大名に服属した。こうした「両属」は争いを回避する有効な手段であった。しかし情勢が変わり、両属が困難になると、国衆の動きが本格的な戦争開始を決定づける要因にもなった。戦...
収録日:2019/06/13
追加日:2020/02/26
「家康対奉行」の構図は真っ赤な嘘!? 秀吉政権瓦解の真相
豊臣兄弟~秀吉と秀長の実像に迫る(8)秀長の死の影響と秀吉政権の瓦解
天正19(1591)年、秀吉は子の鶴松と秀長が相次いで死去し、関白職を甥・秀次に譲り、太閤と呼ばれるようになる。これ以降、羽柴(豊臣)政権は迷走し、やがて崩壊へと向かうことになるが、それゆえ秀長の存在感が没後、よりク...
収録日:2025/10/20
追加日:2026/01/25
国盗り合戦のイメージは誤り?戦国時代の戦争の始まりかた
戦国大名の外交、その舞台裏(7)同盟の破棄と開戦:前編
一般的に知られるより慎重であった戦国大名の間で、戦争はいかに生じたのか。1つの要因として挙げられるのは国境の小競り合いの拡大である。特に問題となったのは、国境地帯に多く存在する国衆領だ。上杉謙信が永禄3(1560)年...
収録日:2019/06/13
追加日:2020/02/19
織田信長に与えられた官位「右近衛大将」が意味すること
天下人・織田信長の実像に迫る(4)足利義昭追放から安土城へ
足利家最後の将軍義昭を追放した織田信長は、敵対する勢力の鎮定に力を尽くす。次々に勝利を収める彼のもとへ、やがて朝廷から「右近衛大将」という立場に任命される。これこそは、信長を実力とともに官位の上でも「天下人」と...
収録日:2020/03/17
追加日:2020/07/20
織田信長が進めていた「天下一統」という事業とは
天下人・織田信長の実像に迫る(6)天下人としての「天下一統」
畿内を制した織田信長は、地方に対してもさまざまな手を打っていく。敵対する者には武力で向かい、そうでない者には中央に従うことによる共存を呼びかけていった。天下という存在の下で、それぞれの地域が治まり、まとまった活...
収録日:2020/03/17
追加日:2020/08/03
長期包囲戦だけではない!“軍事的天才”秀吉軍団の戦い方
豊臣兄弟~秀吉と秀長の実像に迫る(5)羽柴軍団の戦い方
羽柴軍団の戦い方としては、秀吉・秀長が武闘派だったという史実から力攻め中心になりそうだが、水攻め・兵糧攻めなど長期包囲戦も少なくない。そこには、秀吉の軍事的天才としての判断力と切り替え・転進の速さにあったのだろ...
収録日:2025/10/20
追加日:2026/01/04