羽柴軍団の戦い方としては、秀吉・秀長が武闘派だったという史実から力攻め中心になりそうだが、水攻め・兵糧攻めなど長期包囲戦も少なくない。そこには、秀吉の軍事的天才としての判断力と切り替え・転進の速さにあったのだろう。四国攻めの際に「秀吉の言うことを守って戦っていたら怒られる」というエピソードもあるくらいだ。今回は、羽柴軍団の戦い方、その実態について解説する。(全10話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
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●力攻めと長期包囲戦…羽柴軍団の戦い方
―― 前回、能力主義の話がありましたが、イメージ的には羽柴秀吉の軍団と明智光秀の軍団が、(信長政権の)出世頭というか、お互いに競い合いながらやっていたようなイメージで語られることもありますが、羽柴軍団はそれだけ厳しい局面に投入されていくことになるのですか。
黒田 少なくとも毛利攻めが始まってからは、戦国有数の大大名と正面切って戦うということなので、それは大きな役割ですね。
―― やはりあの時期の毛利は、いわゆる中国地方をほぼ全て押さえているようなレベルですから。
黒田 そうですね。
―― そうした国力の相手と……
黒田 そうですね。立ち向かうということですね。
―― 今までのお話に、秀吉と秀長は案外武闘派だったのではないかというイメージも出てきました。羽柴軍団の戦い方の特徴について、前回も申し上げましたが、水攻めのように、どちらかというと力攻めというより物量作戦のようなものだったり、いわゆる肉弾戦というより籠城戦、兵糧攻めに近い形で攻め取るようなイメージで語られがちです。その辺りはご覧になっていかがですか。
黒田 たしかに秀吉は三木城や鳥取城で兵糧攻め、高松城では水攻めを行うなどの長期包囲戦をやっていますが、そうでない場合もある。それはそのときどきの判断だと思いますが、そこまで大掛かりな長期包囲は、他にはなかなかないでしょう。だから、秀吉は我慢強いというか、やることが極端というか…というところでしょうね。
そこから後の秀吉は、城攻めには直接タッチしなくなる。四国攻めでは秀長が総大将を務めますが、長宗我部方の重要拠点に対してはやはり長期包囲をしています。
―― そうですか。
黒田 そこへ秀吉から指示が来て、「とにかく水の手を断って、そのままずっと包囲しろ」というようなことを言っているので、秀吉軍団、(つまり)秀吉・秀長の戦の特徴にそういう長期包囲はあったのではないでしょうか。
―― ただ、おっしゃるように小規模な城を落とすときなどは当然、力攻めでいくと。
黒田 そうですね。例えば小田原合戦の緒戦が山中城攻めですが、あれはもう力攻めでいっている。だから、戦況によってというか、戦略上どちらを使うのかという判断が秀吉は優れていたのではないですかね。
―― なるほど。
黒田 山中城を長期攻めしてもいいのですが、あ...