●石原慎太郎の「生きた魂の声」が分かる本
―― 皆さま、こんにちは。本日は片山杜秀先生に、「石原慎太郎と三島由紀夫と近衛文麿」というテーマで講義をいただきたいと思います。先生、どうぞよろしくお願いいたします。
片山 お願いいたします。
―― まず石原慎太郎さんについて、お話をうかがってまいります。片山先生が注目されたのが『慎太郎の政治調書』(講談社)という1970年に発刊された本ですね。これはどのような本なのでしょうか。
片山 1968年、石原慎太郎さんが自民党から参議院選挙に出て、国会議員に初当選します。その後、途中でいろいろな時期がありましたが、「政治家・石原慎太郎」の時代に入ります。この本は、その参議院議員に初当選したあとの、1年生議員としての身辺や思想など比較的アクチュアル(時事的)な材料についての政見の表明のようなものです。
石原さんは当時、週刊誌にコラムを持っていました。その1968年、69年に連載していたコラムを1冊にまとめたのが『慎太郎の政治調書』という著書になったのです。まさに週刊誌のコラム集で、その本では何年何月何日号に出たものかはきちんと書かれてはいませんが、その時々の材料で書いてあり、だいたい順番通りに並んでいるものです。私も元の週刊誌に当たって読み直しているわけではありませんが、この本を読むと、大衆向け週刊誌のコラムですし、1週間ごとの国際情勢などについて、石原慎太郎さんがどう思っていたかということが、かなり率直に書かれてあります。
石原慎太郎さんは基本的に率直な方だったと思いますが、それがますますストレートに出ています。石原慎太郎さんが毎週、おそらく国会などいろいろな場所にいるときの空いている時間に、その時の筆の勢いでバーッと書いてしまうのでしょう。生々しい感情や状況分析が、「婉曲な」とか「気取った」というような部分がない形で読める。そのため、「1968年、69年という時代は、このような状況だったのだなあ」と分かります。私はまだ幼稚園児だった頃の話ですから、ビジュアル的に分かる話もありますが、「そういわれてみれば、このような時代だったのかな」といったことを本当に楽しく読める本です。
石原慎太郎さんがお亡くなりになった時(2022年2月1日死去)に改めてこの本をパラパラとめくってみると、石原慎太郎さんを語る際に本当に微妙なところから、かなり大きなところまで、石原慎太郎さんの「ものの考え方」、後々までつながっていくものがたくさん読み取れると思いました。もちろん石原慎太郎さんには立派な長編小説や戯曲など多くの作品がありますが、こうした普通に考えれば主要な作品とは思われないような、時事的な、(言葉は悪いですが)その時々にパッと書き散らかしたような文章に、時代の細部の、しかし生きた魂や声が宿っていると思います。皆さんにもぜひ、もし本が手に入るようでしたらお読みになることをお薦めしたいと思います。
―― この本が象徴的ですが、石原慎太郎さんは作家として世に登場し、そのあと政治家に転身されます(政治家でありながらも小説は書き続けておられるわけですが)。今回のこの講座では、三島由紀夫さんと石原慎太郎さんを対比することによって、石原慎太郎さんの作家としての姿や考え方といったものが浮き上がってくる。同時に、政治家としての側面は、少し時代は前になりますが、近衛文麿と対比することによって彼の政治の本質がどこにあったのかが浮かび上がってきます。そのあたりのお話をおうかがいできればと思います。
片山 よろしくお願いいたします。
●当時から非核三原則に疑問を感じていた
―― まず『慎太郎の政治調書』ですが、ここでは本当にいろいろなテーマが取り上げられています。片山先生が注目されたのはどのあたりですか。
片山 いくつか面白いなと思ったところはあります。
たとえば、(石原慎太郎さんが)もちろん東京都知事になっていくことが、この参議院議員1年生の段階のこのエッセイからわかる。このコラムから、もう「東京都を制することによって天下を制する」という発想が石原慎太郎さんにあるということも、すでに読めるのですね。
どれを読んでも、意外と、少し発想を変えると、「大昔にこんなことを言っていたのか」ではなく「まさに今の話だ」と思ってしまう。
例えば非核三原則の話でいうと、国会で「持たず、作らず、持ち込ませず」となっていて、「持ち込まない」が3番目のスローガンになっています。これを「持ち込まず」というと、その主語はアメリカです。日本語で考えた場合、日本が持っていない核兵器を持ち込むのはそもそもおかしいので、「持ち込まず」というのは「アメリカが日本に持ち込まず」が非核三原則の3番目なのだろう、と。
しかし、これは日本が本当に守るべき重...