●政党政治が弱まるときにポピュリズムが登場する
―― 今回の講座のまさに裏表ですが、石原慎太郎さん的な論理でいけば、価値紊乱であり、身体性・肉体性であり、「けしからん」と思うことをどう掻き立てていくかということが大切になります。ですから、さまざまな国際情勢の中で、「あの人たちはかわいそうではないですか」と訴えたり、「あの人たち、けしからんではないですか。われわれが負けていいのか」と言ったりする。当然、燃え立つ人も多いですし、「その通りだ」と思うことも多いのでしょう。
ただ実際に勝つことを考えると、勝つためには準備も必要なわけで、いきなりいきり立って、ボクシングのようにけんかをすればいいという話ではない。ならば、どう味方づくりをしていくか、どうやったら勝てるか、どうやったら相手に疑われないで済むのかなど、本来ならいろいろなことを考えなければいけない。その局面であるはずなのに、それをすっ飛ばして、「かわいそうだ」「やっつけろ」などとなってしまう危険性もあります。
現在の政治でいうと、日本維新の会は石原慎太郎さんと1度結んだ政党です。例えば大阪と東京とを対置して、「東京とは違う大阪をつくる、大阪から日本を変える」と言うと、当然その地域では大変人気が出る部分もあるのだろうと思いますが、日本全体ではそうならないこともあるでしょう。
こと民主主義である以上、大衆の人気、大衆動員を前提にすることは当たり前ですが、魅力もあるけれど危険がある石原慎太郎さんや近衛文麿さん的な政治スタイルの、どちらかという失敗のほうに陥らないためには、どうするといいのですか。
片山 ポピュリズムが赤裸々になるのは、近衛文麿さんが登場した時代を考えても、石原慎太郎さんが都知事として目立ったり、その後もいろいろなことがあったりしたことを考えても、どちらも「政党政治が大丈夫なのか」という局面です。結局、近衛文麿さんの時代は言うまでもありませんが、日本の戦後の政党政治も何かしら悪いことがたくさん言われました。
けれども55年体制は冷戦構造とのセットだったので、世界が冷戦構造という中で、第3次世界大戦にビクビクしながらも安定していました。日本の中ではその縮図として、より資本主義的なものを擁護し、英米的な価値観を擁護する自民党的なものと、そうではない側で中国やソ連と結びついた(という単純な話...