日本の政治史を見る上で地理的条件は外せない。「島国」という、外圧から離れて安心をもたらす環境と、「山がち」という大きな権力が生まれにくく拡張しにくい風土である。特に日本の国土は韓国やバルカン半島よりも高い割合の森林率を有し、人の住める地域が限定され、区切られてきたことが大きい。(全7話中第5話)
※司会者:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
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●「島国」であるがゆえの安心と分権
片山 今まで言わなかったことで一つ大事なことがありますが、これは言わなくても皆さんがお分かりの話だと思います。それは「島国」という地理的な条件がこのような国をつくってきたということです。いつも中央集権で緊張して国力を総動員しないといけない国に対して、「なんとかなる」という気風をつくり出す条件として、日本が荒海に囲まれた島国であるという地理的条件は、当然あると思います。
外を意識して対抗しようとするとき、しかも外には朝鮮半島の国々のような比較的強い国々があると、(緊張は必要です)。しかし一時は、日本が比較的下に見て付き合える渤海のような珍しい国がある時期もありました。沿海州に渤海という大きな国があったことを、世界史としてご存じの方も多いと思います。平安時代には(日本へ)渤海使が来ていて、平安京は日本がちゃんとした文明国だということを彼らに見せつけるためのデザインというところもありました。
そういうふうな、日本よりも弱いというと失礼ですが、比較的日本の言うことを聞いてくれる大きな国が、大陸のほうにあった時代もあるにはあります。しかし、朝鮮に現れる代々の王朝というのは、日本に対してそれなりに強く出たり、対等以上だと思っているものが多かった。また、背後にいる中国の王朝というものは、日本にとっては文明を育てるためにたくさんのものを吸収してきた巨大な相手でした。
海を隔てているから、なんとかこれに対するコントロールが利いていると思うときは、日本国内では分権的に力を集めず、それぞれが勝手をやっていた。好きなようにやることでストレスを少なくしていても大丈夫なのですが、これが大丈夫でなくなるのが、白村江(の戦い)やペリーの来航などです。こういうことがあると、やはり中央集権でないと立ち向かえないということになります。
だから、国際関係の中で「世界の中の日本」になり、世界からは外れることができないので、戦争するにせよ、しないにせよ、中央集権国家を保たないといけないのは、明治以来ずっと現在の2025年まで続いています。アメリカのように人口も国力もあり、多少分権的ながら中央集権の仕掛けもあるという連邦制のような国でも、なんとかなる。でも、日本の場合はやはり小さな国だから、それでは大国に...