●毎年ロンドンに行き続ける秘訣
本村でございます。火曜日にロンドンから帰ってきたばかりなものですから、今はまだ時差ぼけの調整に手間取っているところがあります。もうこの三十数年、1回も欠かさないくらい、毎年8月から9月にかけてロンドンに出掛けています。
ロンドンには非常に恵まれた研究環境がありますし、私にとっては何よりも週末になると競馬がある。アスコット競馬場などです。ロンドンは自分の実益と趣味を兼ねて行ける場所だったので、「あんなにいい環境なのに、なぜみんな行かないのかな」と思っていましたが、やはり研究だけでは、皆さん行きませんし、行っても長続きしない。やはり何らかの趣味、それは競馬でなくても、サッカーなど何でもいいのですが、そういうモチベーションが幾つもあった方が長続きするのではないでしょうか。
皆さんは経営者の方なので、私が言うのも口幅ったいのですが、私がそうやって毎年、ロンドンに行っていると、「お前はなぜそんなに毎年行けるんだ?」と聞かれます。その時、私がいつも皆さんに言うのは、「お金があるから行こうとか、時間をつくって行こうとしても駄目だ」ということです。もう最初から「行く」と決める。「行く」と決めておけば、お金については、いろいろ財政的な援助をしてくれるところがどこかにありますし、それを探すアンテナが何となく自分の中で目ざとくできるものです。お金の問題は、それで解決です。
もう一つ、時間の問題も、私がもう夏に出掛けていると分かっていると、夏のシンポジウムをやるからとか、研究会をやるからなど、そういうものに夏に「出てくれ」とは誰も言わないのです。そういう環境が自然と出来上がってくる。だから私は、もう「当てがある/ない」よりも、「とにかく行く」ということを見せておけば、それでいい。それが、自分のロンドン渡航が三十数年、何となく続いてきた理由です。先ほどの、学問プラスアルファの趣味に関わるモチベーションの多様さ、それから、最初からアドバルーンを上げてしまうこと。そういうことで続けられてきたわけです。
●人類史の圧倒的大部分は、古代に属する
今日は、短い時間の中で、ローマについてのお話をします。お話の中で、われわれが現代を生きる上で考えさせられるような人物であったり出来事であったり、そういうものを比較しながら紹介していきたいと思います。
私は近現代のことをやっているわけではありません。古代史など研究していると、もう本当に多くの方、あるいは学生たちもそうですが、「古くさいことをやっている」と思われるかもしれません。しかし人類の歴史は、くさび形文字やヒエログリフといった文字がメソポタミアやエジプトでできてから、まだせいぜい5,000年しかたっていないのです。記録が残ってから文明が始まるということで考えていくと、人類史そのものは長いですが、文明史はたかだか5,000年しかない。その5,000年のうち、実は4,000年が「古代」です。中世以後は、たかだか1,200~1,300年ぐらいしかありません。そういう人類の文明史を考えた上で言えば、圧倒的に古代の歴史には重みがあります。
一つの例を考えれば、典型的には宗教です。現在、日常的に話題になっているキリスト教とイスラム教の対立に見られるように、キリスト教もイスラム教も、生まれたのは古代です。古代史の後半の方に、そういった宗教が登場してきます。
われわれは一神教を当たり前のことのように思っていますが、実はそれは「なぜこんなことを思いつくのか」というぐらい不思議なことなのです。自然崇拝では、立派な木があるとか、泉が湧き出るなど、そういったところにはスーパーパワーが宿っていると考え、そういうものを神々として崇める。これが人間にとっては普通の考え方です。だから逆に考えれば、「なぜ唯一の全能なる神が存在するのか」などということを思いついたかが不思議になるわけです。だからこそフロイトは、この一神教の発生をものすごく重要なテーマだと考えています。
●一神教や文字、貨幣が人類にもたらしたもの
ここからは私の仮説です。今から三千数百年ほど前から500年ぐらいの間に、一神教が登場します。そしてそれから、アルファベットが登場するのです。人類にとって最初の文字はヒエログリフやくさび形文字で、それは数百、数千あります。これに対しアルファベットは、二十数個の文字で人間の考えていることを全部表せるという。これはとてつもない発明なのです。だから、「人類最大の発明は何か」と言われると、われわれは飛行機だとか最近のコンピュータだとかを考えがちですが、多くの学者は「アルファベットだ」と答えるでしょう。二十数字で全て表せるとするアルファベットの開発こそ、最大の発明であると。今のコンピュータは0と1で全部を処理し...