高度成長のために頑張った日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の評価を得たが、その後の日本企業の凋落、競争力の低下を考えると、その弊害を感じずにはおられない。読書人口が減っている現状をみると、いつのまにか「世界からもう学ぶ必要はない」と思ってしまったのではないだろうか。一方、移民の国として成長し、目覚ましいリカバリー力を発揮してきたアメリカも苦しんでいる。トランプ政権が引き起こした問題で危機に瀕しているのだ。(全7話中第7話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツ・アカデミー論説主幹)
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●成功の弊害――学ばなくなった日本とアメリカのリカバリー力
島田 もう一つ、伺いたいのですが、日本はエリートをつくるのと同時に、1950~1970年ぐらいまで高度成長を達成するのに頑張ったでしょう。
それで、一応は半導体までつくるようになって、アメリカの心胆を寒からしめたところがある。でも、それ以降の日本は、もう一直線で低落しています。経済指標を見ていると、全部そうです。1人当たりGDPも、為替レートも全部凋落している。結局、日本経済の競争力が落ちてしまった。
なぜ落ちたのだろうかという理由は、金融や財政などいろいろありますが、一言でいうと成功の弊害です。日本の仕組みは成功したと経営者が思ってしまい、「もう学ぶ必要はない」となったようなところがありませんか。
例えば雇用制度がいい例です。
終身雇用ですが、終身雇用をやっていると、古い人材をずっと維持していて、ラーニングが進まない。もっと新しい人と入れ替えて、産業構造が変わったら、もっと伸びる分野にいい人材を派遣するという流動性が出てこなければいけない。終身雇用は流動しないのです。それで、例えば法律でいうと退職金の支援法というようなものがあるけれど、「何年以上勤めたら退職金がいくらになる」と決まっていて、長期に勤めないとリターンがないのです。
そうすると、人は動かない。そういう類いのものが、あらゆる産業にある。農業がそうです。土地制度があんなふうになっていたら、新規参入はできないですから。
だから、なんというか、「日本は成功した」という感じを1970~1980年代前半までの日本人は非常にはっきり持ってしまい「これでいい。世界に学ぶものはない」というような感じがありませんか。
―― はい。多分、金融や財政などの政策ではなく、やはり日本人は天井が低いのだと思います。
島田 そうですか。これでいいのだと。
―― ええ。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とかいわれて。「アズ」だから本当ではないのだけれど…。
島田 そうですね。「アズ」。
―― あれで、多分結構満足してしまった。アメリカは逆にベトナム戦争以降のもがき苦しんでいた時代で、日本人のほうが勉強するのをやめたのだと思います。
島田 なるほど。
―― その間、特に冷戦後にアメリカがやったことというのは、1960年から1990年まで成功した日本を徹底的に勉強しまし...