ラストベルトはアメリカの経営者により生まれたが、それは決して攻撃ではなく、合理的な経営判断による必然的なりゆきだった。その一例として島田氏は、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏が中国でスピーチした光景を思い出す。世界で貧困にあえぐ「50億人を救う」と宣言したゲイツ氏だが、経営的戦略判断の先駆けもなしている。(全7話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツ・アカデミー論説主幹)
≪全文≫
●きっかけは沖縄問題、ビル・ゲイツとの関係が生まれた経緯
島田 話を戻しますと、ラストベルトでアメリカの労働者は非常に苦しんでいるのですが、そうしたのはアメリカの経営者たちだし、アメリカの新しい技術です。それで必然的にそれ(ラストベルト)をつくってしまったのです。だから、トランプ氏はアメリカ以外の国を批判しているけれど、彼が他の国を批判する正当性は全くないと思うわけです。
実は、こんなことがありました。アメリカの経営者たちが、アメリカの国内にラストベルトを輸出──逆輸出していった。そんなものができた情景の一つとして、1990年に私はマイクロソフトのビル・ゲイツ氏に呼ばれて北京に行ったことがあります。何かというとマイクロソフトは、Windowsなどにより、情報技術・計算技術のマーケットでおそらくアメリカの9割ぐらいを支配していて、独禁法違反でものすごく……。
―― 訴えられていたと。
島田 訴えられた時代があるのですが、まさにその真っただ中に北京で大会議をするというのです。ビル・ゲイツ氏自身がその会議について「今までは世界のお客にアメリカへ来てもらってアメリカの製品を売っていたけれど、これからは最大の可能性のあるマーケットに出ていって、キャンペーンして売るぞ」と言っていた。前の年にインドでやって、今回は中国だというので、なぜか私に「20人ぐらいのパネリスト(スピーカー)の一人として出るように」と。
―― それは、すごいことですね。
島田 はい。ということで、呼ばれたのです。誰が呼んできたかというと、フォスター氏という人が私に声を掛けてきたのです。
フォスター氏は、その数年前までアメリカ大使館で、大使付きの安全保障の担当官でした。
―― 安保官で安保担当だったのですね。
島田 ええ。彼は参事官でしたが、安保担当のスタッフだった人です。なぜ彼が私を知っていたかというと、その直前まで私は沖縄問題を担当していたからです。1996年に沖縄で米兵が12歳の少女をつかまえ、3人でレイプした事件があったのです。それで沖縄住民の間で、非常に不満が高まったのです。
―― なるほど。クリントン政権のときですね。
島田 そうです。クリントン政権のときです。そのときに、アメリカに対して何か言わなければということで、「米軍基地施設所在市町村の将来を考える官房長官の私的懇談会」という長い名の会...