●20世紀型の全体主義とは異なる形の全体主義が登場している
―― 皆さま、こんにちは。
中島 皆さま、こんにちは。
―― 本日は中島隆博先生に「デジタル全体主義を哲学的にどう考えるか」というテーマでお話いただきます。中島先生、どうぞよろしくお願いいたします。
中島 よろしくお願いいたします。
―― 今日は哲学講義ですが、いろいろな哲学者の紹介というよりも、現代的な問題を哲学的にどう考えていくかについてお話をお伺いできればと思います。
中島 はい。
―― テーマが「デジタル全体主義」ですが、ちょうど中島先生がマルクス・ガブリエルさんと一緒に、『全体主義の克服』という大変興味深い本をお書きになっているので、こちらをベースにお話を伺っていければと思います。
まず、最近よく聞かれる「デジタル全体主義」という言葉は何を意味しているのでしょうか。
中島 「全体主義」という言葉自体は20世紀の概念です。21世紀にはもうそれをとっくに克服して、過去のものになったとわれわれは思っていました。しかし、新しい形での全体主義が登場してしまっているのではないかという疑問から問いが生まれて、「デジタル全体主義」が登場してきたと思います。
―― この本に書かれていることでいうと、例えばソ連やナチスドイツなどの20世紀型の一般の全体主義とは非常にイメージが違います。昔は強制したり、密告を強要して、例えば誰と誰が仲間なのかという情報を国家が全体主義的に集めていき、統制していくイメージでした。
それがデジタル全体主義になると、むしろ人びとの側が、例えばグーグルやフェイスブックに自発的に情報を出していってしまい、そのデータがビッグデータとして使われて、社会として全体主義的になっているのではないかという主張です。こうしたイメージの認識で正しいのでしょうか。
中島 はい。ある意味で非常に不思議なことが起きていると思います。
20世紀型の全体主義は、例えば特殊警察などを使って、人びとの頭の中の思想をつかもうと大変な努力します。おっしゃるように、密告が奨励されたり、さまざまな形の拷問が使われたりしました。それによって、何とか思想をつかむことが大きなテーマだったと思います。
ところが21世紀になってくると、もはやそういう必要がありません。皆さんがそれぞれの仕方で自分の思想・信条をインターネ...
(マルクス・ガブリエル著、中島隆博著、集英社新書)