●消費に拠らない資本主義のあり方を構想する
―― 資本主義的なグローバリズム、あるいはグローバル資本主義的なものの一つのあり方として、先生が近年挙げているのが、「人の資本主義」です。ちょうどテンミニッツTVでも、以前そのテーマでお話しいただいたことがあります。グローバリズム、あるいはグローバル資本主義の問題点を解決する一つの手立てとして、デモクラシーもありますが、もう一方で、資本主義のあり方自体を変えていくというのもあります。
中島 資本主義には、それ自体に歴史があると私は思っています。資本主義は別に同じシステムがずっと続いているわけではないと思います。もちろん基本は同じです。資本主義の基本は、時間を支配する形式だと私は思っているのですが、それが具体的に体現されるのは投資です。やはり投資をして、回収していく仕組みだと思います。
ところが今の資本主義を見ていくと、例えば1パーセントの超々富裕層に莫大な資金が集まっています。しかしそれは投資されません。もう投資先がないというか、投資しなくてもお金が集まってしまうという、おかしなことになっています。資本主義のそういう基本的な構造から外れてしまっている感じです。資本主義がそれを招いたのですが、それが実は資本主義とは関係のないものをもたらしてしまったというパラドクスが生じている気がします。
―― よく投資と投機の違いといわれたりしますが、最近はお金を預けても、みんなAIで運用してしまいます。昔の銀行がやっていた、可能性のある技術に懸けて、それを育てるというイメージから、もう少し投機的なイメージになっているというお話ですか。
中島 それも含めてです。やはり資本主義自体を鍛え直さないといけない気がします。そのときのキーワードの一つとして考えてみたのが、「人の資本主義」という概念です。モノからコトへ、コトから人へというイメージを自分は持っています。
資本主義は、モノをつくっていきます。良いモノをつくって、それを皆さんに買っていただいて、経済を回していきます。これがある段階では非常に優勢だったと思います。だから良いモノさえつくれば、売れると思われていました。しかし、だんだんモノが溢れてしまって、良いモノをつくっても売れません。次にどこに向かっていくかというと、今度はコトに向かいます。これを「コト消費」と言い、いろいろな経験や出来事を生み出して、そこに皆さんの関心を引きつけていきます。それは基本的には差異のシステムです。
―― 違いということですね。
中島 違いです。違いというのは差異のシステムです。ここにこういう違いがあるので、違いをつくろうという、“Make difference”が一つの標語になります。それはモノであれ、コトであれ、つくっていこうという流れです。
しかし、コト消費とはいいますが、そこで消費されるコトは、だいたいパッケージ化されて、プログラミング化されたコトにすぎません。本当の偶然性に開かれているわけでもないし、それを消費した人が、それを消費することによって、何か豊かになっていく、あるいは大きく変容していくことが、必ずしもあるわけではないです。
―― アトラクション的であるということですか。
中島 そうです。
―― コンピュータゲームもある意味ではプログラムに則ってやっていくとこがありますが、そういう決められたゴールに向かっていくイメージですか。
中島 そうです。もちろん、今のゲームはいろいろ工夫しているので、一つのゴールではなく、さまざまなゴールを設定することはあります。しかし、やはりベースになってくるのは、消費してしまうことです。
しかし本当に資本主義は消費だけなのでしょうか。消費できないものに向かうこともできるのではないかという気がします。その最たるものが、やはり人です。私たちは人を消費するのでしょうか。そういう生(ライフ)を望ましいと思っているのでしょうか。
「人の資本主義」というと、「それはヒューマンリソース(人的資本)の話ですか?」とよく聞かれるのですが、その発想とは真逆です。
―― 先ほどの「人を消費するのですか」という問い掛けは面白いです。これはどういうイメージを持てば良いのでしょうか。
中島 例えば今、若い人が自分の時間を、「どう?買ってください。好きに使ってくださって構いません」と売ります。これは究極の消費の形です。しかし、人は消費の対象ではなくて、何か価値を一緒に生み出していく存在ではないかという気がするのです。
だから、もし資本主義が鍛えられて、方向を変えていくのであれば、人が生きていくための生の条件を豊かにする方向に資本主義が向かっていくといいのではないかという気がします。そこに積極的に投資をしていくと、価値を生み出す人の固まり...