●自然との対話を通して見えてきたもの
田口 私は東洋思想研究を約50年間行い、3つの命題を預かって、これに向かって進んできました。これらを解決しないことには、「東洋思想研究を行っています」などと偉そうに言えない。その3つの命題の解が、ようやく明確になりました。
―― すごいことですね。
田口 なぜ明確になったか。1つの助けは、新型コロナウイルスです。新型コロナウイルスが流行ったときに、私は年配だし重度の身体障害者だから、都会におらずに山に行って独活して、ずいぶんと山暮らしをしたわけです。そこで鹿や狸などを相手に暮らしていると、「自然=宇宙、天」となってくる。
そういうものしか対話の相手がいないわけです。したがって、そういうものとの対話が進めば進むほど、見えてくるものがある。そういった過程で、私が32歳前後にもらった(3つの)命題の1つ1つについて、逆転の発想によって思わぬ解決がようやく見えた。その中の2つは松下幸之助さんからいただいた命題なので、あなたに話さなければいけないと思いました。
―― それはすごくありがたいことです。
田口 今日はそのお話と、もう1つは最近、「AIの話をしてくれ」という依頼が多いのです。私の観点からAIはどのように受け止めなければいけないかというと、「精神と肉体」の問題として受け取ることが一番重要です。
―― 「精神と肉体」ですか。
田口 「精神と肉体」というテーマは東洋思想の根幹にあります。「肉体」といっているものを違う言葉でいうと、「欲望」です。肉体があるから欲望があるのです。
そのような意味で「肉体=欲望」の制御(コントロール)はいったいどうしたらいいかというときに、仏教のように「禁欲」にして「ダメ!」といってしまえばそれで終わりなのですが、そうではない。特に漢籍、儒家と道家の思想は、欲望を認めています。あれだけ厳しいことを言っている儒家の思想において、なぜ欲望を認めているのかについては大きな1つの要点です。ここが明確にならないと、漢籍を読んでいてもいい加減になってしまう。ですから、「この点の追求をしよう」という50年間でした。
―― 「欲望」を認めているのは、すごいことですね。
田口 ええ、すごいことです。理路として明らかにならないと意味がないわけです。なぜ欲望を認めているのか、どういう効果があるのか、ということが分からな...