●1対1で『人間を考える―新しい人間観の提唱―』の編集に取り組む
―― 江口さんの23年間が、一番いい時代の松下幸之助と一緒に仕事をされていたことがよく分かりました。
江口 いわゆる「松下幸之助」が出来上がったときに、そばで一緒に仕事をできるようになったのは幸せです。
―― 一番完成度の高い松下幸之助ですね。
江口 昭和46(1971)年に、『人間を考える―新しい人間観の提唱―』(以下、『人間を考える』)を二人で編集しようと言われました。これは、松下幸之助の基本的な考え方についての本ですから、1対1で取り組ませてもらったことで、彼の哲学を根本から教え込まれたような感じがします。
―― 松下幸之助の人生が一番落ち着いている時代ですね。ある程度、いろいろなものが分かってきている時だと。
江口 社長から会長になった時に、「もう会社には出ない」と言い、自分が一番やりたかったこととして「PHPの活動に専念したい」と宣言しました。その宣言の時に、私はそばに行きました。松下幸之助には、自分の考え方をまとめ上げようという意図がありました。
『人間を考える』をまとめ上げた時、極端な言葉ですが、松下幸之助は「これをまとめおわったから、死んでもいいや」と言ったくらいですから、彼にとってはピークだったんですね。そんな彼と一緒に仕事をし、学ばせてもらったのは、私自身にとってはラッキーでした。
―― (江口さんは)当時は何歳でしたか。
江口 その時は、32~33歳でした。
―― 松下幸之助は70代でしたか。
江口 そうですね。76~77歳くらいだったと思います。
●同じ方向を見つめ、松下幸之助の思想大成に伴走する
―― 江口さんと松下幸之助の関係は、「息の長さが合う」と聞いたことがあります。桁外れに相性が良かったということでしょうか。
江口 考えるレベルやスピードは違いますけれども、東に向かって歩くというような方向性が一緒だったということですね。分かりやすく相撲の世界で例えれば、松下幸之助は大横綱、名横綱でした。私は、褌担ぎか序ノ口であったとしても、同じ相撲取りでした。だから、話をしていても、相撲という土台が共通しているために、適当に話が合って分かるし、分からなかったら教えてもらえたということです。
こちらがプロレスラーやボクサーの新人だったら、相手は相撲の話をするのにこちらは...
(松下幸之助著、PHP研究所)