「般若とは何か」――20歳の時、仏教学者・秋月龍珉から「仏法とは般若だ」という命題を受け、長年般若について探求してきた田口氏。般若とは「無分別知」、すなわち知識ではなく直感的理解であると説く。そして、東大名誉教授で仏教学者である玉城康四郎の「全人格的思惟」という考えとも通じ、禅や瞑想を通じて体験した境地が、宇宙の実相、すなわち全体性の感得に到達していくことになる。今回は、全ては「宇宙の理法・運・徳」に帰結するという本質について考察していく。(全6話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツ・アカデミー論説主幹)
≪全文≫
●仏法と般若の命題を解く機会が訪れた
田口 私が20歳のとき、たまたま大学の同じクラスに坊さんの息子が5人いて、彼らはみな、自分の宗派が一番だと討論していたのですが、そのジャッジを私にしてくれと言うわけです。
それで1年間、各宗派のどこがすごいという話を聞いては、「おまえのところが一番かもしれない」とか適当に言っていたときに、臨済禅が一番という人間がいて、自分がここで何かを発するよりも、ある人間に会ってもらえば一番よく分かるということで、連れていかれたところがあるのです。それが秋月龍珉(りょうみん)で、彼のところに連れていかれたのです。
── すごいですね。
田口 私は当時、秋月龍珉という人がどういう人か知りませんから、生意気の極致で、会いに行ったわけです。それで、坐禅の手ほどきなどを受けたりしました。その間、3回ぐらいしか会っていませんでしたけれど、毎回そこに2時間ぐらいいたと思いますが、その最中も彼は、いつも言っていることがありました。それがまた命題です。
彼は何と言ったのかというと、「君たちは、葬式だ、法事だ、そういうことを仏教というけど、仏教なんてそんなところにはないんだ。間違ってもそれを仏教だというなよ」と。また次は、「輪廻転生なんてものはないんだよ。そんなものを仏教というなよ」、そういうふうに彼は言うのです。もう毎回言うわけです。われわれ素人が知っている仏教といったら、葬式仏教とか、そういうものしかありませんが、それを全部否定するわけです。
そこで私は、それほどに否定するのならば、そこには解答がなければいけないと思い、「何を仏法と先生は言っておられるんですか」と聞いたら、「摩訶般若波羅蜜多(まかはんにゃはらみった)だよ。それしかないんだ」と、彼は言ったわけです。次に行ったとき、「先日、摩訶般若波羅蜜多だと言われましたが、もうちょっと何かヒントをいただけませんか」と言いました。
そうしたら、「般若という意味をちゃんと君が知ってから答えてやる」と言うのです。しかし、それきり会わなかった。ずっと会うチャンスがなかったのです。ですから、私の蓄積されている命題の中に、秋月龍珉からいわれた、「仏法は般若だ」「般若とは何か」という命題が残っていたわけです。そして、これまでの命題が全部開く機会になったとき、これも開くのではないかと思い、思考を重ね...