●条件付きの「和」、無条件の「和」
大野 皆さん、こんにちは。今日は足元の悪い日ですが、ようこそ法隆寺へお参りいただきました。どういうお話をさせていただこうかなといろいろ考えたのですが、その時の都合でどこへたどり着くか分からないやり方、例えて言えばボートピープルのようなやり方の方が面白いかなと思いました。
―― 日本が宗教的に平和だったのは、聖徳太子が仏教を取り入れたことが関係しているのではないか。日本の歴史と聖徳太子の志にはどのような関係があるか。
大野 皆さんもよくご存知のように、聖徳太子さんといえば、「和を以って尊しとす」という和の精神を提唱し、これを広めた方です。
ではその「和の精神」とは一体何か。よくご存じのように、この「和を以って尊しとす」という言葉は、実は中国の『論語』、そして『礼記』からの出典で、太子さんはこの言葉を引用したのではないかということが昔からいわれています。
そこで『論語』をきちんと読んでみると、これは礼の働き、「礼の用は~」というように書かれています。つまり『論語』が述べているのは、「条件付きの和」なのです。要するに、世の中の秩序や上下関係など、そういったものが正しく機能するためには、皆で仲良くしなければならない。だから和が必要である。こういう考え方が、もともとの中国的な和の考え方です。
では聖徳太子さんの和とは、一体何か。実はこの和は、いきなり「和を以って尊しとす」と出てきます。つまりこれは、「無条件の和」です。条件がありません。そうすると、その無条件の和とは一体何か。それを考えてみるには、まず私たち日本人が、どのような生活をし、どのように現在の状況まできたかという歴史をたどる必要があるかと思います。そして、その歴史をたどる前には、聖徳太子さんよりもはるか以前から考えていかなければならないと思います。
●日本の地理環境が「和」の精神を生んだ
大野 それはすなわち、私たちが置かれていた周囲の環境です。これはもういうまでもなく、海に囲まれた狭い地域であるということです。日本列島は、北海道から九州、沖縄まであるわけですが、ここは比較的、人類が生活しやすいような環境下にありました。そういう環境下にありつつ、しかも海に囲まれて、周囲から隔離をされています。当然、日本の人々は、単一の民族ではないことは誰しも分かって...