●幸せとは何か――「生の哲学」、実存主義とも通じる山上憶良の思想
さらにもう一つ、学生と一緒に映画を観に行きました。私も歳を重ねて涙もろくなったもので、実をいうとあらかじめ映画の内容を聞いてハンカチでは間に合わないだろうとタオルを持っていたために、泣いてもなんとか涙をぬぐうことができました。
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』という映画を観たのです。私から見ると、お花畑だらけのようなきれいな映像で、実際にはそんなことはないだろうとも感じています。これはどういう映画かというと、特攻隊の生き様を見た(女子)学生が、生き方を変えるという映画です。
考えてみると、これも一つの「幸せとは何か」ということを考える映画です。私も泣きましたが、私が行ったときの観客は半分が高校生で、6:4の割合で女の子でしたね。今の若い人たちですから、終わった途端にあちこちから声が聞こえてきました。「やべぇ」という声でしたが、若い人の言葉で「心に響いた。自分の心が揺れ動いてしまって大変なことになっている」という状態を「やべぇ」というわけです。
それは何を(指しているか)というと、今の現実社会、高校生たちを取り巻く今の社会です。しかも、決して全員が豊かで幸せというわけではありません。そういった中、自分の置かれた環境の中で、「自分たちは何をもって幸せとするのか」という哲学がそこにあると見なければいけないと思うわけです。
そこで考えてくると、山上憶良の思想というものを大きく見渡したときには、「生きていることに最も大きな重点というものがある。それが最も尊重されるべきことである」ということになります。
これは、ドイツの哲学でいうとハイデッガーなどの「生の哲学」ということになるでしょう。また、時代が1950~1960年代ということになると、フランスのジャン=ポール・サルトルやボーヴォワールなどのような実存主義哲学ということになると思います。これは、そういうものとそれほど変わらないわけです。
また、不思議なことに、人文科学というものには、実をいうと古い・新しいということはないのです。ソクラテスの問いが古いとか、山上憶良の問いが古いとか、そういうことはないわけです。こう考えると、今の15~16歳から18歳ぐらいの人たちも、そういうふうに模索していっているわけです、「何が幸せか」を。また、8...