●天皇の問いかける歌で始まる『万葉集』
ごきげんいかがでしょうか。上野誠です。今日は、『万葉集』の話をしようと思います。『万葉集』の歌の解釈をして、「ここはこうです」という話ではありません。『万葉集』という書物を、どのように受け止めていくかということです。
『万葉集』は、4516首から成り立っています。全部で20巻あります。1巻から16巻までは1つの編纂をされたものですが、17、18、19、20の「末四巻」といわれる巻は大伴家持の「歌日記」を、編纂の上、そのまま合体させていると考えたらいいかと思います。
したがって、『万葉集』の巻1、2の世界、巻3、4の世界……と広がっていきます。そして、それはだいたい7世紀の終わり頃から8世紀の中頃までの100年間の歌が集められています。いろいろなところにあった歌を、1つに集めた歌集です。そして、17、18、19、20の「末四巻」は、大伴家持の個人的な日記を編纂した形で歌集が形成されています。大伴家持が『万葉集』の編纂者の1人であると考えればいい、という歌集なのです。
初めての方もいらっしゃいますので、『万葉集』を開けますと、最初に出てくるのは雄略(ゆうりゃく)天皇の歌です。大泊瀬幼武天皇(おおはつせわかたけるのすめらみこと)の御製歌(おほみうた)と出てきます。
「籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この丘に 菜(な)摘(つ)ます児(こ) 家(いへ)聞かな 名(な)告(の)らさね そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(を)れ しきなべて われこそ座(いま)せ われこそば 告(の)らめ 家をも名をも」
雄略天皇が出てきて、若菜摘みをしているお嬢さん方がいる。そのお嬢さん方を褒めます。「よいかごを持っていますね。よいへらを持っていますね。若菜を摘んでいらっしゃるのですね。私はあなたたちと結婚がしたいです。名前を教えてください。家を教えてください」と天皇は言います。それに対して、乙女たちは答えない。そこで天皇は、「では、自分から名乗りましょう」、自分の名前も、家のことも、という歌です。
これは、「若菜摘み」という場があるわけです。これは新春の行事です。春になって若菜を摘む、若菜を煮て食べる、というところに天皇は出ていく(行幸なさる)わけです。そこで、「よいかご、よいへらを持って、この丘で若菜を摘んでいるお嬢さん方、家をおっしゃいな、名前をおっしゃいな」と言う。「この大和の国は、すみずみまで私が治めている国だよ。全て私が統治している国だよ。私のほうから名乗りましょう。家のことも、名前のことも」と言うわけですね。
つまり、天皇が問いかける歌から『万葉集』は始まるのです。
●『万葉集』2番目と4516番目(最後)の歌
では2番の歌はどういう歌であるか。
「大和(やまと)には 郡山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立ち立つ 海原(うなはら)は 鴎(かまめ)立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国は」
舒明(じょめい)天皇が、たくさんある大和の国の中でも香具山に登って国見をすると、国原からは煙が立っている。「煙が立っているということは、皆が食事をできているんだな。良かったな。海原が見える。海原にはカモメがいっぱいいる。カモメがいっぱいいるということは、魚がいっぱいいるということだ。陸は豊作、海は豊漁でいいね」という歌です。これは祝福している歌ですね。
さまざまな歌があります。嫉妬に狂う女性の歌もあれば、御子が亡くなって悲しいという歌もあり、喜怒哀楽がそこに伝わっているわけです。
受講生の皆さん方の周りにも、『万葉集』を勉強していて、20年、30年とカルチャーセンターに通っている方がいるでしょう。「そんなことで飽きませんか」というと、「いや、飽きることなどありません」と言う。万葉集はそういうものですよね。
そして4516番目の歌は、大伴家持が因幡の国の国庁(国の役所)で詠んだ歌になります。
「新(あらた)しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)」
新しい年の初めに雪が降った。その雪が降り積もってゆくように、重なってゆくように(「いやしけ」とは「重なってゆくように」ということ)、よいことが重なれよ、という祝福の言葉で終わります。
最初と最後を読んだだけで、全部読んだような気にもなります。しかし、これらは『万葉集』が最初に据えようとし、最後に置こうとした歌ですから、そこに何らかの性格が表れていることは間違いないと思います。
●中国の書物に学んだ『万葉集』の分類法「三大部立」
そうすると、私たちは、...