●「梅花宴序」で示した「われわれの文化を大切にする」という姿勢
『万葉集』巻5でありますが、天平2(730)年の正月に、大伴旅人邸宅に集まって宴会を行いました。この宴会を行うにあたって、大伴旅人邸宅には、外来の(中国からもたらされた)梅の木が植わっていて、梅見の宴会を行った。ですから「梅花の宴」とおわれています。その梅花の宴で詠まれた32首の歌が並んでいるのですが、その前に序文があります。
そこに、「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ」という一文があります。
初春(正月)の麗しき月で、気淑く(天気がいい、大地の気もいい、集まっている人の気もいい)ところで、宴会を行う。この令月の「令」と「和」を取ったのが、「令和」という年号です。しかしこの序文は、後半が素晴らしいのですよ。
「梅の花を皆で見よう。おいしいお酒を飲もう。お正月は気分いいね。歌を詠もう」と言っているわけですが、その「梅花宴序」(梅の花の宴で32首の序文)の後半の箇所は、どのように書いてあるかというと、こうです。
「若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以(も)ちてか情(こころ)を述(※)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしへ)と今と夫(そ)れ何そ異ならむ。宜(よろ)しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。」
※「述」は原文では「手」遍+「慮」
こういう気持ちを表すためには、やはり詩を作らなければいけない。詩を作る庭に私たちはいるのだ。何をもって心を述べることができるだろうか。中国には梅の花の散る美しさを述べている詩がある。昔の中国と、今の私たちの日本と、どうして異なるところがあろうか。そこで皆よ、庭の梅を題として詩を作ろう――。
ところが、ここに「いささかに短詠を成すべし」とあります。つまり昔の中国、われわれが学習した中国は漢詩の国で、そこでは落梅の篇を漢詩で作りました。しかし、われわれは日本なのです。「短詠」とは日本の短い歌のことなので、「五七五七七」です。われわれの歌は五七五七七だよ、ということが『万葉集』の「梅花宴序」に出てくるのですね。
中国を常に意識し、中国を学び、しかし、われわれは中国ではない。決して中国を排斥するわけでもない。これは大切なものである。しかし、われわれは、われわれの文化を大切にしなければいけないだろう、ということを言っているわけです。
●グローバルとローカルをどう調整していくか
今、グローバル・スタンダードということが問題になっている。世界中で競争するためには世界中、同じルールで競争をしなければならないので、言葉だって1つのほうがいいだろう、法律だって1つのほうがいいだろう――これがグローバルな考え方です。
ところが、一方でわれわれは多文化社会の中を生きているわけです。隣にはフィリピンの人が住んでいる、隣には韓国の人が住んでいる。隣には中国の人が住んでいる。そして皆でバーベキューでもしようかということも当然、あり得る。多文化の中で生きている。
多文化社会で最も重要なことは何か。「あなたたちの文化を尊重しますので、われわれの文化も尊重してください。われわれの文化を尊重するのと同じように、あなたたちの文化も尊重します」というのが多文化社会の理念です。決して一方向にグローバル・スタンダード化するかというと、そんなものではない。
それは、それぞれの地域の歴史があるからです。日本には日本の歴史があるのです。
さまざまな方法を考えながら、抽象的な概念にあたるところは中国語の漢語を使おう。でも情緒に関するところは日本語を使おう。細かい「よ」「ね」「うん」などというニュアンスは日本語でしか伝わらないから、そこはひらがなを使おう――これが「漢字仮名まじり文」という、日本の今のスタンダードな書記システムなのです。
これこそが、まさに奈良時代から日本人が求めていた「和魂漢才」です。その漢語の箇所を英語に変えようというのが「和魂洋才」なのでしょうね。
やはり、フランスはフランスであり、ドイツはドイツです。ヨーロッパを歩いていても、フランスはもう町を見たら分かります。ドイツも、町を見たら分かります。教会に入ったら分かります。そういった地域の特性を生かすことも重要なのですね。
おそらく21世紀、22世紀の課題は、ローカルなものとグローバルなものとをどのように調整していくかということでしょう。その最も優れた先例は日本であるということです。
そういったものは文学の流れにも表れているし、『万葉集』という書物が最も日本的であって、最も中国的であるという事実からして、われわれがどのようにグローバルな社...