●ピアニストにとってのショパンとは?
―― 皆さま、こんにちは。本日は江崎昌子先生に「ショパンの音楽とポーランド」というテーマでお話をいただきたいと思います。先生、どうぞよろしくお願いいたします。
江崎 よろしくお願いします。
―― 江崎先生は桐朋学園大学をご卒業後に、ポーランドワルシャワの(フレデリック・)ショパン(音楽)アカデミーの研究科を修了されているということで、ポーランドに留学されています。これまでにかなり数多くショパンを弾いてこられ、CDも、このように数多く出されています。本当に日本におけるショパンの第一人者といえる先生かと思います。
本日はショパンの生涯や、ポーランドの歴史などについてもお話をうかがっていきたいと思います。まず、せっかくピアノをご用意いただいた部屋ですので、「これがショパン」という感じの1曲、さわり部分を演奏いただければと思いますが、よろしくお願いできますでしょうか。
江崎 はい。
(♪: ショパン作曲 幻想即興曲 嬰ハ短調 作品66)
―― ありがとうございます。
江崎 ありがとうございます。
―― ただ今の曲が「幻想即興曲 作品66 」ということでございますね。江崎さんはこれまでも非常に数多くショパンを弾いていらっしゃったと思うのですが、江崎先生にとってショパンという作曲家はどういうイメージなのでしょうか。
江崎 ピアニストにとっては、生涯のうちに勉強しないことがない、弾かないことが「避けられない」作曲家だと思います。たとえば音楽を勉強し始めた頃から、ショパンのエチュード(練習曲) に触れますし、音大やコンクールなどでは絶対弾かなければいけない作品でもあります。
あとは、ピアノのことを知り尽くした作曲家なので、ピアノの技術だったりピアノの音色などを最大限に引き出す、ピアノの楽器のよさを引き出す作曲家として本当に貴重で、どんなピアニストにとっても「特別な作曲家」ではないかと思います 。
本当にたくさんの作品、ピアノでしか演奏できない作品を書いてくれましたので、 私も勉強し始めてから何十年経ちますが、自分が歳をとればとるほどまた全然違う、いくら弾いても、発見があるような作曲家です。
●ショパンの失われた故郷の風景
―― はい。それから、もう一つの(ショパンの)特徴として、やはりポーランド人であるというところで。
江崎 そうですね。
―― どういう特徴があるかというのは、この後の講義でうかがっていきたいと思いますけれども、その前提として、ポーランドの方々にとってのショパンはどういう作曲家なのか。(江崎先生は)ポーランドにも留学されていて、ポーランドのことも非常に詳しくていらっしゃるので、そのあたりはどのようにお感じになりますか。
江崎 はい。ポーランドにショパンが生まれますが、当時の歴史的な背景から、ポーランドにいることができなかった。そして、半生を外国で過ごしています。 彼の作品のほとんどは国を離れてから書かれていて、国のことを思って書いている。そこにショパンの魅力というか、その当時の歴史的ないろいろな要因が加わって、 ショパンにたくさんの傑作を書かせることとなった郷愁のようなところが、特別にあるのではないかと思っています。
―― 今日はそのあたりのショパンの秘密について、ぜひ探っていきたいと思いますが、第1話ではショパンの生涯をたどってみたいと思います。
ショパンが生まれましたのが1810年(1809年説もあり)。フランス人の父とポーランド人の母のあいだに、ジェラゾヴァ・ヴォラというところで生まれたということですが、江崎先生はこの生地(生誕の地)には当然行かれたことがおありということですが、どんなところですか。
江崎 ええ、もう本当にショパンが生まれた頃と、多分、二百何十年、何も変わっていないだろうというような……。
―― 農村地帯。
江崎 農村ですね。草原があって、小川が流れていて、今でも馬車にわら束などが積んであって、その上に農夫が座っているような雰囲気のところですね。「ほとんど空」という。
―― ああ、ほとんど空。
江崎 ほとんど空です(笑)。
―― なるほど。
江崎 「ほとんど横にいつも空がある」というふうに私は表現しています。都会にいると、空は上にあります。日本でもそうですかね。でも、(ショパンの生誕の地では)横に空があって、地平線がずっと続いている。ポーランドは山が南側にしかないので、ショパンの(生まれた)辺りは、もともと「ポーランド」という言葉も「平地」という意味があるそうなのですが、それがとてもよく分かるところです。
●動乱の時代に育った早熟の天才…20歳で作曲したピアノ協奏曲
―― そして、お父さんがフランス人ということでした。...