●「人間的な歌」であることがノクターン(夜想曲)の魅力
―― ノクターンと民謡の違いというのは、どういうイメージですか。
江崎 はい。ノクターンというのは、もともとフィールドという作曲家が音楽のなかでつくりました。左手は分散和音をゆったりと演奏し、右手が夜(を暗示する)。「ノクターン」は日本語ではとても素敵に「夜に想う曲」と書きますね。
―― 「夜想曲」という。
江崎 そう、本当にとても素敵で、ぴったりの「夜想曲」なのですが、セレナーデ風の音楽になっているわけです。
民謡とはもしかしたらちょっと違うかもしれないですが、民謡には必ず歌がある。民謡=歌ですけれども、季節の歌だったり、行事であったり、いろいろと民衆の一番人間的な歌が込められているものがあります。
そういう意味ではとても歌謡的なものがノクターンのスタイルです。そういう意味では、ショパンの場合は、民謡から来るものがあったかもしれないですね。
―― なるほど。今回、弾いていただけるのは「ノクターン第2番 作品9-2」ということですね。
江崎 はい。これは皆さんが普段聴かれるのとは違うスタイルで、ポーランドの「ナショナル・エディション」というものです。そこには2通り楽譜がありまして、もともと皆さんがよく目にする楽譜や耳にするもの、そうではなくショパンが書き残したもの全部を載せたものがあるのです。
ショパンは、同じメロディーを2回繰り返すときには少しずつ変えるようにしていました。実際の演奏でも楽譜とは違い、とても即興的に変えてみたりするようなことがあったのです。それは、別にノクターンに限らず、すべての作品の中でそれが現れるわけですが、今日はそのバリエーションというか、いろいろ変わっているもののバージョンで、弾いてみたいと思います。
―― はい、ぜひ、よろしくお願いいたします。
江崎 はい。
(♪:ショパン作曲 ノクターン第2番 変ホ長調 作品9-2)
―― ありがとうございます。やはり今お話しいただいたように非常に装飾的なかたちで、次々に発展していく感じもありますね。
江崎 そうですね。こんなふうにショパンは、レッスンのときに「こんなふうにもできるよ」というふうに、もともとの楽譜の上にちょこちょこっと書いたりしていたのです。なので、この楽譜はパデレフスキなどがこういうふうに弾いている録音があったりして、弾くのは難しいのですが、とてもショパンらしいもので、面白いと思います。
―― 当然ショパン自身も、よくサロンコンサートなどと呼ばれるようなところで弾き、いろいろな人の前で自分の曲を紹介していくわけですから、演奏家としての遊び心といいますか、しかも自分の曲ですから、「盛ってみる」ようなところもあったりしたのでしょうか。
江崎 当時の作曲家は、モーツァルトなどが最たるものですが、皆さんが即興演奏をできなければいけなかった、むしろそれが当たり前だった。その即興的な要素、同じメロディーを同じように弾かないという、一つの例です。
●ショパン自身のアレンジとヴァリエーション
―― 人によりますと、派手過ぎると言う人もいるかもしれないですけれども、やはり当時も含めてピアノの一つの楽しみ方というか、いかに元ある曲をさらに綺麗に装飾してみたり、発想を広げてみたり…。
江崎 本当にそうですね。なので楽譜では、たとえば24連符や13連符のように割り切れないものが書かれています。34とかね(笑)。なので、最初はとてもビックリするのですが、「いくらでもショパンが即興して流れるような雰囲気にしたのだな」という、きらびやかなバージョンですね。
―― そうですね。ですから、今われわれが親しんで聴いている曲も、もしかしたら本人が弾いているときは、いろいろな弾き方を…。
江崎 違うようにしていたか。だから、そういう意味では、ジャズの人たちがやるようなことを、当時は同じようにやっていたということですね。
―― そうですよね。ですから「今回はまたよかった」とか…。
江崎 そうですね、そうですね。
―― お客さんからしても、そういうふうな聴き方が。
江崎 あったということは、すごく決まったものではないということができる音楽と言ったらいいのかしら。そうではない音楽ももちろんありますよね。ベートーヴェンのソナタを好きなように編曲するわけにいかないので。
―― クラシックですと、とかく四角四面といいますか、「楽譜通りやりなさい」というイメージもあるかもしれませんが、考えてみればオーケストラなどでも、ひと昔前の指揮者は自分で曲を足したり引いたり、いろいろやっていましたし。そういう「自由さ」もあるのは面白いところですね。
江崎 そうですね。
―― ありがとうございます。
江崎...