●ルネサンス芸術とは何か
はじめまして。東京造形大学で美術史を担当している、池上英洋と申します。これから、「ルネサンス美術とはいったい何であるか」ということをお話しさせて頂きます。個別の画家に入る前に、まずルネサンス美術、あるいはルネサンスとはどうやって始まったかということを説明します。
まず、ルネサンスについてです。この語は、「Renaissance」というフランス語から来ています。もともとはヴァザーリという最初期の美術史家、つまりわれわれの先祖に当たるような人が『美術家列伝』というものを書き、その中で「rinascita」という言葉を使ったことが始まりです。これはイタリア語で「再び生まれる」という意味の動詞の名詞形です。ようするに「再生」ということです。
何が「再び生まれる」のでしょうか。これについては、割と多くの大学生が、「古代ギリシャ・ローマの芸術と思想である」と答えることができます。しかし、「それではなぜその時に古代ギリシャ・ローマの文化が復活しないといけなかったのか」という質問になると、もうほとんどの人が黙ってしまいます。そこで、このことについて、一緒に画像を見ながら整理していきましょう。
●ルネサンス以前、イタリアは群雄割拠の状況だった
まずは当時の状況です。実は、イタリアは日本とよく似ています。長い間、イタリアは小さな都市国家に分裂した状態でした。そして、それぞれがお互いに覇権を競うというような状態にありました。例えば、皆さんご存じのローマ、ベネチア、ミラノ、フィレンツェ、ナポリといった都市は全て、別の国でした。そして、それぞれが独立国として覇権を競っているという、群雄割拠の状態です。それがまずルネサンスを迎える直前の状況です。
●十字軍により、中東地域の文化を摂取した
ルネサンスが生まれた最大の要因を一つ挙げるとしたら、それは十字軍です。十字軍は、もちろんルネサンスよりも数百年も前に始まりました。皆さんご存じのように、キリスト教徒が、イスラム教徒に奪われた聖地イスラエル(エルサレム)を、取り戻しに行くという運動でした。何度も挑戦して、最終的には失敗に終わります。ただそこで、中央ヨーロッパからイスラエル地域、つまり現代の中東地域に行く際に、十字軍はたくさんの新しいものを目にします。現在のヨーロッパと中東地域の力関係から考えると、少し意外な気がするかもしれませんが、当時はヨーロッパよりも中東地域の方が先進地域でした。文化的にも非常に進んでいたのです。ヨーロッパの方が、文化的には田舎であったと考えてください。
そうすると、彼らはそこで初めて見るものがあるわけです。例えば、絨毯、あるいは入浴の習慣などがそれに当たります。文化的に面白いものでいうと、食事のスパイスも初めて見たものでした。こうしたものはヨーロッパにはほとんど入ってきていなかったので、彼らにとっては新しいものとして映ったわけです。十字軍の中には兵隊ではない者もいたので、そうした人たちの中には、中東地域でそういうものを目にし、「ヨーロッパに持ってきてこれを売ったら商売になるな」と考える人も、たくさんいました。
●貨幣経済の拡大により、商人が力をつけていく
ヨーロッパでは、古代ローマの時代から、すでに貨幣が存在しており(税金も貨幣で納めていました)、流通もしていました。しかし、中世の1000年間には貨幣経済があまり進みませんでした。というのも、隣町や隣村との物々交換で済んでいたような時代では、特に貨幣は必要なかったからです。ただ、遠くに行って、違う文化圏、違う民族のところから何かしらのものを購入するという状況になると、物々交換を行うのも大変なため、お互いが見て高い価値が担保できるようなものが必要とされました。やはりそこで、金か銀が必要とされたのです。こうして、貨幣経済がまた再び、増大していきました。
そうすると、ヨーロッパの町々に住んでいる商人たちは、少しずつ経済力を持つようになっていきました。実質的には、彼らが町を運営するような形になります。江戸時代もそうですが、士農工商といわれる中、商人は一番下の身分に置かれていました。しかし、江戸の文化を思い浮かべていただくと、ほとんどが町人文化でした。彼らが実質的に文化を動かしていたわけです。ヨーロッパもそれと一緒で、ルネサンスの直前は商人たちが力を持ち、彼らが実質的に文化の中心層を成していったのです。
●アルテによる町の運営
商人たちは、同じ商人たちでグループを作り、利益団体のようなものを組織していきま...
(フィレンツェ)